2014年1月28日火曜日

道徳の教科書の執筆者に、今度は恐縮しないでメールしている

道徳の教科書の執筆者に、今度は恐縮しないでメールしている

「心のノート」の原稿を廃棄してください

 「心のノート」の原稿だと思い込んで書いていた原稿が、図らずも道徳の教科書になる。なんと魅惑的で素敵なことではございませんか。
 先日、メールを差し上げましたが、返事をいただいておりません。道徳の教科書を執筆される有徳な方々ですから、必ず返事があるものと信じていたわけですが、見事に裏切られました。大変残念です。実に不誠実で国民を見下した道徳の教科書の執筆者です。
 ということは、つまり、道徳の教科書を書いていながら、道徳的な人間ではない、ということになるわけですね。これは即ち、偽善者であるということになります。あの日本史上最大最悪の偽善者、不道徳で非人間的な河合隼雄(Hayao Kawai)と同類になるわけです。不道徳な人間が道徳の教科書を執筆するのは、文学的な素養のない人物が国語の教科書の作成にあたって、芥川龍之介の『羅生門』や中島敦の『山月記』を担当するようなものです。皆さんに、日本の子ども全員に配布される道徳の教科書を執筆させるわけにはいきません。そのようなひどいものを子どもに与えるわけにはいきません。
 直ちに文部科学省の担当者に連絡してください。そして、道徳の教科書の原稿を取り戻して破り捨ててもらいましょうか。
 偽善者たちよ、早くこの地球上から立ち去ってしまえ。いや、これは、JungianやJungianの信奉者たちに向かって言っていることです。河合隼雄(Hayao Kawai)やその弟子どもや河合隼雄ファンに言っていることです。河合隼雄は、2度も詐欺犯罪を行いました(2度のウソツキ退職)。自分の金を使うのではなく、とにかく人の金を騙し取って勉強したがる。実に、いじましい。日本臨床心理学会で自ら行った子どもに対する心理検査の取り扱い方の非人間性を批判されると、かんかんに怒って学会を飛び出して心理臨床学会という変な名前の学会を新しく設立しました。さらに、“日本ウソツキクラブ会長”を自任するという人をおちょくった発言をし、人から「河合さんはよく努力なさいますね」と言われると、「他にすることがないから努力させてもらっている」などと訳の分からない戯言を口走っていました。このように不道徳で冷酷で非人間的な人物が、道徳の副教材「心のノート」を作成していたのです。今まで日本で、このようなすさまじい偽善者を見たことがありません。道徳の教科書の執筆者のみなさんが、自分の偽善性・欺瞞性を深く反省し、更生の道を歩もうとなさるのでしたらこの限りではありません。
 そうでないならば、偽善者の教育者は要りません。直ちに退職されることを勧告します。

2014年1月21日火曜日

道徳の教科書の執筆者に恐縮しながらメールさせてもらっている

道徳の教科書の執筆者に恐縮しながらメールさせてもらっている

 気高くも立派な道徳の教科書の執筆者の皆

様方に、不肖ながらわたくしが畏れかしこみ、慄き

ながら次のようなメールをさせていただいている。

(以下、メールのコピー。)

「心のノート」について

 「心のノート」は、2013年12月26日に「私た

ちの道徳」に名称変更したそうですね。すばらしい

ことではありませんか。皆様方が辛苦の末、執筆

された改訂版「心のノート」が道徳の教科書に格

上げされたのです。まずは、慶意を表しておきまし

ょうか。
 道徳の教科書の執筆者としてのすばらしい、こ

の上なく“上等な人間”の立場としましては、次

のような主張はいかが受け止めになるのでしょうか

。なんだ、そんなものは下司の主張だと一笑に付

されますか?それなら、ぜひとも真摯に読んでいた

だきたいと存じます。必ず、心のこもった誠実な丁

寧な返信をいただけるものと信じております。

http://moriyamag.blogspot.c

om/

(以下、上述のURLのコンテンツのコピー)
(「あまりに道徳的な、道徳の教科書の執筆者

」と本文は同じ。)

あまりに道徳的な、道徳の教科書の執筆者

 もしも僕が、自分は道徳的な人間であると言っ

たら、たちまち天は裂け、雷鳴が轟き、稲妻が走

り、僕は打たれて地に倒れ伏すことだろう。
 ローマ法王フランシスコ(Pope Francis)

に、「あなたは道徳的な人ですか?」と問いかけた

らどうだろうか。十中八九、「私は道徳的な人間

ではありません」という答えが返ってくるだろう。聖

徳太子(Prince Shotoku)や孔子

(Confucius)に尋ねてみたところで、やはり

同様の答えが返ってくるにちがいない。
 「心のノート」改め、「私たちの道徳」の執筆者に

尋ねたい。君たちは本当に自分自身を“道徳的

な”人間だと考えているのか。本当に心底、道徳

的であると自身を看做しているのか。真に、そうな

のか。もしも自分自身を、道徳的な人間だと考え

ていないのならば、君たちに道徳の教科書を執筆

させるわけにはいかない。直ちに文部科学省の担

当者に連絡して、提出した「私たちの道徳」の原

稿を取り戻して破り捨ててしまえ。
 もしも君たちが、自分自身を道徳的であると看

做しているのならば、これは面白い。ぜひ、その旨

をメディアやインターネットを使って国民全体に、は

っきりと知らしめよ。国民ひとりひとりの目をまっすぐ

に見つめて、胸を張って宣言せよ。君たちには、そ

の義務があるのである。何しろ、日本の子ども全

員に配布される道徳の教科書を執筆なされたロ

ーマ法王も聖徳太子も孔子も脱帽するほどの偉

大な人物なのであるから。君たちは、それこそ大

変な重大なことを行ったのである。それができない

ということになれば、君たちの道徳性について、疑

念を抱かざるを得ない。
 Hayao Kawaiは、日本史上、最大最悪

の偽善者だった。ウソツキ退職という詐欺犯罪行

為を2度もなし、日本臨床心理学会で子どもの

心理検査に関する自らの非人間的な取り扱いを

批判されると、カンカンに怒って学会を飛び出し、

心理臨床学会という妙な名称の学会を設立した

。日本ウソツキクラブ会長を自任するなどと、ふざ

けた、人を馬鹿にした発言を行う。自分の勤務

高校の名前を隠そうとする。後ろ足で砂をかける

ようにして、あとは野となれ山となれと言わんばかり

に高校を退職(ウソツキ退職)したからである。2

千人から数千人もいると考えられる教え子の誰ひ

とりとして、Hayao Kawaiの思い出話を語ろ

うとはしない。タレント以上の有名人になったにも

かかわらず。余程、冷酷で人間味のない数学教

師だったのだろう。こんな人物が、道徳の副教材「

心のノート」を作成していたのである。典型的な偽

善者ではないか。こんなすさまじい偽善者は、今

まで日本には現れたことがない。
 そもそも道徳というものは、これから教えてやるぞ

と大見得を切り、大上段に振りかざして教授する

ものではない。日常のさりげない場面において、そ

れと意図せずに、それとなく伝えていくのが道徳な

のである。そうでなければ、偽善者の道徳になって

しまうのである。偽善者は、ものを考える力を持ち

合わせていない。Hayao Kawaiの様を見る

がいい。道徳や「心のノート」などと愚かなことを言

う前に、まず考える力を育てよ。

(以上、上述のURLのコンテンツのコピー)

 もしも御自分が、きわめて道徳的な人間である

とお考えでしたら、ぜひともメディアやインターネット

を使って国民全体に宣言していただきたい。私は

、ローマ法王や聖徳太子や孔子に勝るこの上なく

道徳的で、非の打ち所のない人間であると。これ

は、貴殿の義務です。「私たちの道徳」は、日本

の子ども全員に配布されるわけですから。そのよう

な宣言ができないということであれば、貴殿の道徳

性を疑わざるをえないということになり、貴殿は道

徳の教科書を執筆する資格が全くないということ

になるでしょう。

(以上、執筆者へのメール)

 道徳の教科書を執筆される、すぐれて道徳的

な方々であるから、必ず心のこもった誠実な返事

があると信じている。 

 ところで、ひとつお願いがあります。以下に執筆

者の名簿(文部科学省発表)を掲げておきます

が、個人のメールアドレスは分かりませんので、勤

務先にメールを送信して御本人に転送していただ

きたいと申し上げています。勤務先のメールアドレ

スが分からない場合は、その上部機関になります

。例えば、学校なら市町村の教育委員会か都道

府県の教育委員会になるわけです。それで、勤

務先が学校で、メールアドレスが分からなくて、

FAX番号なら分かるケースがよくあります。この場

合は、メールよりもFAXで送信したほうがよいと思

いますが、僕は外国に逃亡中のためにFAXを使

うことができません。そこでお願いですが、FAX送

信を助けていただけないでしょうか。相手方に

FAX番号を知られても大丈夫な人がいいと思い

ます。助けてあげてもいいとお考えの人は、次のメ

ールにご連絡ください。

goromoriyama#gmail.com
(#を、アットマークに変えてください。)

文部科学省発表の道徳の教科書執筆者の名

簿

トップ > 会見・報道・お知らせ > 報道発表 

> 平成25年度の報道発表 > 「心のノート」

改訂作業部会の発足について > (別紙2)「

心のノート」改訂作業部会協力委員名簿
(別紙2)「心のノート」改訂作業部会協力委員

名簿

◎主査・○副主査

小学校低学年用チーム

 遠藤 敏朗
 愛媛県松山市立堀江小学校長
 表迫 信行
 東京都練馬区立北原小学校長
 粂 由利子
 横浜市立東希望が丘小学校長
 小林 沙友里
 東京都足立区立亀田小学校教諭
 ○
 清水 保徳
 帝京大学大学院教職研究科准教授
 反町 京子
 千葉市立大宮台小学校長
 ◎
 長谷 徹
 東京家政学院大学現代生活学部教授
 早川 大介
 東京都板橋区立高島第五小学校主任教諭
 藤澤 美智子
 さいたま市立芝川小学校長
 松田 敦子
 沖縄県那覇市立城東小学校教頭
 吉成 美紀
 東京都町田市立町田第四小学校主幹教諭
 吉原 聖人
 国立大学法人香川大学教育学部附属髙松

小学校教諭
小学校中学年用チーム

 浅見 哲也
 埼玉県深谷市教育委員会学校教育課課長

補佐兼指導主事
 今村 信哉
 さいたま市立大宮小学校長
 宇賀神 佳子
 東京都中野区立緑野小学校長
 大庭 正美
 北九州市教育委員会指導第一課長
 ○
 押谷 由夫
 昭和女子大学大学院生活機構研究科教授
 河合 宣昌
 岐阜県岐阜市立茜部小学校長
 木村 惠子
 東京都杉並区立新泉小学校長
 黒瀨 敬
 岩手県盛岡市立河北小学校教諭
 鈴木 芽吹
 東京都中野区立塔山小学校主任教諭
 ◎
 永田 繁雄
 国立大学法人東京学芸大学教授
 橋本 ひろみ
 東京都世田谷区立池之上小学校主任教諭
 藤村 真理
 高知県教育委員会小中学校課指導主事
 村上 桂一郎
 東京都中野区立鷺宮小学校主任教諭
小学校高学年用チーム

 岡田 直人
 埼玉県八潮市立大瀬小学校長
 木下 美紀
 福岡県福津市立津屋崎小学校主幹教諭
 小中 理司
 北海道網走市立白鳥台小学校教諭
 齋藤 道子
 東京都文京区立大塚小学校副校長
 染谷 由之
 東京都武蔵村山市立第三小学校長
 ○
 高橋 妃彩子
 東京都渋谷区立加計塚小学校長
 田中 博
 東京都足立区立東綾瀬小学校主幹教諭
 常見 昌弘
 さいたま市立仲町小学校長
 中治 謙一
 東京都大田区立大森第四小学校主任教諭
 ◎
 馬場 喜久雄
 一般財団法人総合初等教育研究所室長
 福田 純子
 東京都練馬区立中村西小学校長
 渡邊 万里子
 東京都練馬区立練馬東小学校長
中学校用チーム

 荒木 忍
 東京都練馬区教育委員会指導主事
 石黒 真愁子
 さいたま市立指扇小学校教頭
 磯部 一雄
 札幌市立平岡中央中学校教諭
 菅野 由紀子
 東京都武蔵野市立第五中学校長
 小林 園
 京都府総合教育センター研究主事兼指導主

 齋藤 嘉則
 仙台市教育局学校教育部教育指導課主幹
 七條 正典
 国立大学法人香川大学教授
 ◎
 柴原 弘志
 京都市教育委員会指導部長
 ○
 鈴木 明雄
 東京都北区立飛鳥中学校長
 賞雅 技子
 東京都三鷹市立第三中学校長
 谷田 増幸
 国立大学法人兵庫教育大学大学院教授
 馬場 勝
 兵庫県立教育研修所義務教育研修課長
 松本 好弘
 広島県世羅町立甲山中学校教諭

お問合せ先

初等中等教育局教育課程課

(初等中等教育局教育課程課)
ページの先頭に戻る文部科学省ホームページトッ

プへ

「おっさん。おっさん。」
「なんじゃい。あーあ、またお前か。久しぶりだな。

今度はどんな用だ。」
「おっさん。ほんまに性格悪いわ。」
「そうかなあ。」
「もうあきれたわ、その厭味。」
「そうかなあ。厭味かなあ。うるさい。俺は道徳の

教科書なんか書いたことはないぞ。さっさと消え失

せろ。」

2014年1月18日土曜日

あまりに道徳的な、道徳の教科書の執筆者

あまりに道徳的な、道徳の教科書の執筆者

 もしも僕が、自分は道徳的な人間であると言っ

たら、たちまち天は裂け、雷鳴が轟き、稲妻が走

り、僕は打たれて地に倒れ伏すことだろう。
 ローマ法王フランシスコ(Pope Francis)

に、「あなたは道徳的な人ですか?」と問いかけた

らどうだろうか。十中八九、「私は道徳的な人間

ではありません」という答えが返ってくるだろう。聖

徳太子(Prince Shotoku)や孔子

(Confucius)に尋ねてみたところで、やはり

同様の答えが返ってくるにちがいない。
 「心のノート」改め、「私たちの道徳」の執筆者に

尋ねたい。君たちは本当に自分自身を“道徳的

な”人間だと考えているのか。本当に心底、道徳

的であると自身を看做しているのか。真に、そうな

のか。もしも自分自身を、道徳的な人間だと考え

ていないのならば、君たちに道徳の教科書を執筆

させるわけにはいかない。直ちに文部科学省の担

当者に連絡して、提出した「私たちの道徳」の原

稿を取り戻して破り捨ててしまえ。
 もしも君たちが、自分自身を道徳的であると看

做しているのならば、これは面白い。ぜひ、その旨

をメディアやインターネットを使って国民全体に、は

っきりと知らしめよ。君たちには、その義務があるの

である。何しろ、日本の子ども全員に配布される

道徳の教科書を執筆なされたローマ法王も聖徳

太子も孔子も脱帽するほどの偉大な人物なので

あるから。君たちは、それこそ大変な重大なことを

行ったのである。それができないということになれば

、君たちの道徳性について、疑念を抱かざるを得

ない。
 Hayao Kawaiは、日本史上、最大最悪

の偽善者だった。ウソツキ退職という詐欺犯罪行

為を2度もなし、日本臨床心理学会で子どもの

心理検査に関する自らの非人間的な取り扱いを

批判されると、カンカンに怒って学会を飛び出し、

心理臨床学会という妙な名称の学会を設立した

。日本ウソツキクラブ会長を自任するなどと、ふざ

けた、人を馬鹿にした発言を行う。自分の勤務

高校の名前を隠そうとする。後ろ足で砂をかける

ようにして、あとは野となれ山となれと言わんばかり

に高校を退職(ウソツキ退職)したからである。2

千人から数千人もいると考えられる教え子の誰ひ

とりとして、Hayao Kawaiの思い出話を語ろ

うとはしない。タレント以上の有名人になったにも

かかわらず。余程、冷酷で人間味のない数学教

師だったのだろう。こんな人物が、道徳の副教材「

心のノート」を作成していたのである。典型的な偽

善者ではないか。こんなすさまじい偽善者は、今

まで日本には現れたことがない。
 そもそも道徳というものは、これから教えてやるぞ

と大見得を切り、大上段に振りかざして教授する

ものではない。日常のさりげない場面において、そ

れと意図せずに、それとなく伝えていくのが道徳な

のである。そうでなければ、偽善者の道徳になって

しまうのである。偽善者は、ものを考える力を持ち

合わせていない。Hayao Kawaiの様を見る

がいい。道徳や「心のノート」などと愚かなことを言

う前に、まず考える力を育てよ。
 

2014年1月16日木曜日

罪責感を生じさせるな!

罪責感を生じさせるな!

 年末から年始にかけて、衆議院・参議院の文教委員会(衆参で名称が異なる)の各委員にメールを送って、「心のノート」の後継版、「私たちの道徳」を配布させないよう活動していただきたいと要望していた。全員には送れなかった。メールアドレスが分からない人もいたからである。「心のノート」は、2013年12月26日に慌てて名称を改めて「私たちの道徳」とした。姑息なことを考えるやつらだ。これでは、逃亡中の犯罪者が名前を変えて潜伏しているようなものだ。
 まず、「心のノート」に反対の立場であると考えられる野党の委員の皆さんに要望した。それから、少し迷ったが、与党と、考え方が与党に近いと思われる野党の委員にも要望した。公明党(Komeito)の委員は、完全に無視した。公明党の委員は、どうせ自分の頭で考えることをしない。党の方針が右なら右に行き、翌日、党の方針が左になれば、自分でものを考えずに左に行くやつらだからである。これで政治家だそうだ。こんなやつらに要望しても仕方がない。
 自民党(the Liberal Democratic Party )の委員はどうだろうか。中には、中曽根弘文(Hirobumi Nakasone。あの邪悪なYasuhiro Nakasoneの息子。Hirobumi Nakasoneは、「心のノート」の実現のために重要な役割を果たした)、小渕優子、橋本聖子というような名の知れた国会議員もいる。「心のノート」を初めて作成したHayao Kawaiの冷酷で非人間的な人格的特徴。「心のノート」を、配ったり配らなかったりすれば、教育現場に、「心のノート」なんかいい加減に取り扱っても構いませんよというメッセージを添えて「心のノート」を配布していることになる。これは国費の無駄遣いである。会計検査院が黙って見ているはずがない。このような事実があるのに、自民党の委員たちは「心のノート」の配布をストップさせるために活動してくれるだろうか。自民党の委員たちの国会議員としての資質・適格性が問われている。「心のノート」の配布はおかしいと感じながら、安部晋三内閣に何も言えないということであれば、それだけで自民党の議員の心に罪責の感情を生じさせることになる。そのような罪責感を抱いたままでは、議員としての生命は終わったも同然である。人は、そのような罪責感を持ったまま有能に仕事をすることはできない。
  それから、「心のノート」に反対の立場にあると考えられる野党の政党本部にも、「心のノート」(および「私たちの道徳」)を廃止するように活動していただきたいと要請した。また、日本教職員組合(日教組)、全日本教職員組合(全教)、全日本教職員連盟にも同様の要請を行い、特に組合には、「心のノート」の取り扱いをめぐって処分を受けた教員の方がおられたら、援助して処分の取り消しと補償のために力を貸してあげていただきたいと思う。これは、2002年以降の「心のノート」が配布されていた間の全期間が対象にな。自分たちは配ったり配らなかったりと、いい加減な取り扱いをしているのに、教育現場で適当な取り扱いをした教員に対して、どうして処分することができるだろうか。処分する権限がないのに処分したことになる。
 「心のノート」をHayao Kawaiに作成させ、文化庁長官に任命した小泉純一郎(Junichro Koizumi。当時の首相)と遠山子(Atsuko Toyama。当時の文相。ただし、文化庁長官任命については、遠山ではないかもしれない)は、国家と国民に対して大罪を犯したのである。

 会計検査院が、黙って指をくわえて見てはいないだろう。

2014年1月13日月曜日

Mechanistic Mind or Heart

Mechanistic Mind or Heart

 Hayao Kawaiは、2度の犯罪行為(ウソツキ退職)をなし、タレント以上の有名人になっても、2千人から数千人もいると考えられる高校勤務時代の教え子の誰ひとりとしてKawaiの思い出話を語ろうとする人が出てこないほど、冷たい人間味のない数学教師だった。日本臨床心理学会で、Kawaiが行った子どもの心理検査の非人間的な取り扱いを批判されると、カンカンに怒って学会を飛び出した。そして、新しい学会を設立した。このように冷酷で非人間的な人物である。日本ウソツキクラブ会長などと、ふざけた、人を馬鹿にした発言をする。人から「河合さんは、よく努力なさいますね」と言われると、「他にすることがないから、努力させてもらっている」と人を食ったような受け答えをする。人間性がねじ曲がっているのである。メカニカルな心。これは、ユング派の特徴的な性格である。C・G・Jungがそうなら、Hayao Kawaiもそうである。C・G・Jung、Hayao Kawaiの流れを汲む者、すべて冷酷で非人間的である。Kawaiの弟子も又弟子もKawaiの同調者も、冷酷で非人間的である。ユング心理学は、人格の全体に関わる心理学だからである。
 2013年4月に、「心のノート」を改訂することに決め、その時に改訂版の原稿執筆者も決定されたのだろう。原稿の執筆者は、当然ながら、Kawaiの弟子や信奉者などKawaiの流れを汲む者たちであろう。その原稿は、もう既に出来上がっているのではないだろうか。いくら名称だけ去年の12月26日に慌てて変えてみたところで、実質的に「改訂版 心のノート」であることになんら変わりはない。どうして冷酷で非人間的な者たちが作成した実質的な道徳の教科書を、子どもたちに配布しようとするのか。奇妙ではないか。何を血迷っているのだ。

 このサイトは、ある国からのアクセス数が、日本からのアクセス数を上回ることがしばしばある。また、別のある国からのアクセス数が、日本からのそれを上回ることもたまにある。ずいぶんとインターナショナルになったものだ。世界各国の皆さんにお願いする。どうか、ユング派(Jungian)を社会から追放していただきたい。Hayao Kawaiは、CGJungの思想を外国人(おそらくアメリカ人)のJungianから教わった。そのアメリカ人も冷酷で非人間的な人物であったはずだ。Jungian Psychologyは、全人格に関わる心理学であるからである。教祖のCGJungも、その弟子も又弟子も、またその弟子も世界中のJungianは、冷酷で非人間的である。人間性が歪曲しているのである。人格が妙な方向に凝り固まってしまっている。これは、暖かい血が流れている人間という感じがしない。化け物みたいなものである。しかも、彼らは悪を否定しない。このような、YakuzaMafiaよりも恐ろしいやつらを野放しにしておいてはいけない。世界中の大学や研究機関などにいるJungianを追放していただきたい。

2014年1月8日水曜日

2014年1月3日金曜日

サンタが橋の上からやってきた

サンタが橋の上からやってきた

 中米グアテマラで、「サンタクロースに扮(ふん)し

た消防隊員のエクトル・チャコンさんが橋を降下し

、貧困層の子どもたちにクリスマスのプレゼントを

配った」(Reuters)。もう16年も続けているそ

うである。そんなに裕福でもなさそうだし、有名人

でもなさそうなこの人物について、“聖人”という言

葉が思い浮かんだ。このような話に接したとき、一

応はその動機に自己顕示欲などの妙な夾雑物

が混入していないか検討してみる必要があろうけ

れども、この人の動機は純粋なのではないかと思

われる。たとえ、そうでないにせよ、貧しい子どもた

ちにとって、胸がわくわくする心踊る瞬間であったこ

とに変わりはない。世界中には、このような隠れた

聖人がたくさんいるにちがいない。

 どこかの国で、目くじら立てて、口角泡を飛ばし

て、「道徳教育だ。道徳教育をしないといけない

のだ」、「何だと?道徳教育に反対するだと?この

非国民め。厳重に処分してやる」と息巻いてる裕

福で、もしかしたら権力も握っているかもしれない

、名の知れたお偉方の皆様。少しは、橋を下りる

サンタさんの爪の垢でも煎じて飲ませてもらったほ

うがよいのではないでしょうか。

 道徳というものは、組織的・公的に教えては駄

目だと思う。あくまでも個人的・私的に教えるので

はないと意味がないであろう。塙保己一という人

はね、こんなにすばらしい人なのですよ、皆さん、

ぜひこのような生き方をしましょうね、ということを授

業で何べんも繰り返しても身にはつかない。例え

ば、近所のおじさんとか、親戚のおじさんから、塙

保己一という人がいてさ、こんなことをしたのだよ、

すごいね、と何気なく言われたほうがはるかに心に

残り、その子のその後の人生の肥やしになると思う

。そもそも道徳・道徳性の伝授というものは、1対

1でなされるべきものである。個人の人格性に乗っ

かって伝えられなければ身につかない。親鳥が巣

の中の雛鳥に、口移しで餌を与えるように行われ

るべきものである。それを公教育で、多人数の子

に一挙に伝えようとすると、その道徳性それ自体

が変質する恐れがある。そのような道徳教育を受

けた国民が多数になると、それこそ全体主義国

家へと、ひた走ることになる。道徳とか倫理というも

のは、公教育で扱うにそぐわない。その子どもが置

かれている環境、つまり家族・親戚・地域社会・

友人関係・サークル等で人為性を排した自然性

の中で育まれるべきものである。これを人為的・公

的・組織的に行おうとすると、道徳の画一化・普

遍化(道徳には、個別的・特殊的な性格もない

わけではない)がなされることになる。
 昨年(2013年)12月25日に文部科学省に

対して、正式に要望した。「心のノート」を、国が

配ったり配らなかったりしていれば、いい加減にやっ

ても全然やらなくても文句言いませんよ、というメッ

セージを添えて配布しているのだから、国費の無

駄遣いになる。それなら、おやめになったら如何で

すか、と意見を述べて要望した。12月27日まで

に回答してほしいと求めていたが、回答がなかった

。国民が正式に要望しているのに、無視するとは

何事だ。一体、どこを向いて仕事をしているのか。
 ところがその間に、「心のノート」の名称を改めて

、「わたしたちの道徳」としているのである。


「心のノート」をめぐる報道および文部科学省の発

表をピックアップした。「心のノート」という名称と記

事の日付、道徳の教科化という観点から見てい

ただきたい。

(以下、コピー)
(1) 朝日新聞 2013.4.5
道徳の教科化へ初会合 文科省懇談会
 文部科学省の「道徳教育の充実に関する懇

談会」が4日、初会合を開いた。道徳の教科化

を求めた政府の教育再生実行会議の提言を受

け、設けられた。学校向け教材「心のノート」の再

編集や教員の指導力向上策などを議論する。

委員は大学教授や小中学校長ら17人。座長

には鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問が選ばれた




(2) 毎日新聞 2013年04月22日 東京

朝刊
道徳の教科化 どう進める??下村博文・文科

相インタビュー
(「メモ帳」を使っているので、一部文字化けしてい

る。「??」は質問者、「◆」は下村博文・文科相

の発言である。)

 ??教材はどうするのですか。

 ◆まず「心のノート」を全面改定し、それを来年

4月からすべての小中学校で教材として使えるよ

うに準備を始めている。今の「心のノート」も学習

指導要領にのっとって作られているが、本人が感

想を書く記述式のものだから教材としては十分で

はないと考える。

 ●心のノート教材に

 ??改定版はどのような内容になりますか。

 ◆中身は学習指導要領の通りだが、それを子

供に分かりやすいようにしていく。記述式の今の「

心のノート」とは違い、どの項目でもいいのだが、

物語的なものを使うことによって理解を深めるヒン

トを与えていくことを考えている。偉人の伝記を入

れてもいいと思う。特定の価値を押しつける偉人

だけを並べるということではなく、学習指導要領の

コンセプトに合った偉人の子供の頃のエピソードな

どを入れながら学んでいけるようにしたい。その教

材を家に持って帰って、親子で一緒に学べる環

境を作っていくことを考えている。

 ??「教科書」の位置付けにするのでしょうか。

 ◆教科書ではない。とりあえず来年は「心のノー

ト」の全面改定版を教材として作るが、それ以降

はそれを基本に民間会社が参入して教科書を作

ってもらうことも考えている。あるべき教科書の形と

いうのは今後、有識者の懇談会である「道徳教

育の充実に関する懇談会」で議論してもらう予定

だ。

 ●絶対評価は難しい

 ??道徳は授業時数を増やすのでしょうか。

 ◆今までと同様、週1回。そこで改定版の「心

のノート」を使ってくださいということだ。全員に無償

配布するから活用してもらいたいが、教科書では

ないので、自治体によっては副読本を併用すると

ころもあると思う。いい副読本もあるので地域の特

性を生かしながら実施してほしい。

 ??教科になると評価や教員免許はどうするの

ですか。

 ◆評価に関しては、国語や算数など他の教科

のような絶対評価や相対評価は難しい。有識者

懇談会でも、他の教科と違う評価の仕方を考え

るべきではないかと意見も出ている。一方、免許

は大学で教員養成課程の中に道徳という新たな

コースを設け、教授らを選任して……となると、これ

からやっても10年はかかる。すでに道徳はあるの

だから、免許がなくても学校の先生であればだれ

でもやれるはず。それなりの研修はさらに必要だが

、やれるところからやっていけばいいと思う。


(3) 文部科学省発表 平成25年11月22



道徳教育の充実に関する懇談会(第10回)の

開催について

  文部科学省では、教育再生実行会議の第

一次提言を踏まえ、道徳教育の更なる充実に

向け、道徳教育の現状や課題を検証しつつ、「

心のノート」の全面改訂や教員の指導力向上方

策、道徳の特性を踏まえた新たな枠組みによる

教科化の具体的な在り方などについて検討を行

うため、「道徳教育の充実に関する懇談会」の第

10回会議を以下のとおり開催いたしますのでお

知らせします。(以下略)


(4) 東京新聞 2013年12月25日 朝刊
二十四日に政府が決定した二〇一四年度予算

案は、過去最大の歳出額という見かけ以上に、

政権の意図がにじむ予算といえる。
教育費では心の領域である道徳教育費を倍増

した。
文教関係予算では、「道徳教育の抜本的改善

と充実」として、関連費を前年度から六億円増や

し、約十四億円とした。小中学生に新「心のノー

ト」を配布するほか、教員の指導強化費などに充

てる。


(5) 時事通信 2013/12/26-12:11

新「心のノート」、1.5倍に=道徳教科化、15

年度にも-文科省
 下村博文文部科学相は26日の閣議後記者

会見で、全面改定して来春から配布する小中学

生向け道徳教材「心のノート」の内容を発表した


 新しい名称は「わたしたちの道徳」。偉人などを

題材とした「読み物」を盛り込んだり、いじめの未

然防止につながる題材を取り上げたりして、分量

は従来の1.5倍程度に増えた。
 また、道徳の教科化を検討してきた有識者会

議の鳥居泰彦座長(元慶応義塾長)は同日、

他の教科のように5段階などの数値評価を行わ

ない「特別の教科」とした上で、検定教科書の使

用を求める報告書を下村文科相に提出した。
 文科省は年明けにも中央教育審議会に諮問

。学習指導要領の一部改定を経て、早ければ2

015年度にも先行実施される見通し。


(6) 文部科学省発表
全面改訂版「心のノート」について
平成25年12月26日

文部科学省では、道徳教育の更なる充実に向

けて、「心のノート」の全面改訂作業を行ってきま

した。このたび、その作業がほぼ完了しましたので

、以下のとおり改訂版の名称と現時点での構成

表についてお知らせします。

1 名称及びページ数

小学校1・2年 「わたしたちの道徳」 (総ページ

数160)

小学校3・4年 「わたしたちの道徳」 (総ページ

数176)

小学校5・6年 「私たちの道徳」    (総ペー

ジ数192)

中学校     「私たちの道徳」    (総ペー

ジ数240)
(以下略)


(7) 日本経済新聞 2013/12/27

0:31
新道徳教材の概要公表 「心のノート」改訂、

1.5倍に

 文部科学省は26日、国が作成する新たな道

徳教材の概要を公表した。従来の「心のノート」

を大幅に改訂し、「私たちの道徳」と名付ける。ペ

ージ数を1.5倍程度にし、東日本大震災被災

地の学校の活動やスポーツ選手の活躍を取り上

げる。

 文科省によると、被災地を元気づけようと学校

新聞づくりに取り組む岩手県大船渡市立第一

中学校の活動や、シドニー五輪の女子マラソンで

金メダルを獲得した高橋尚子さんのエピソードを

紹介するという。

 下村博文文科相が就任直後に、「道徳教育

を充実させたい」として改訂作業を指示していた。

 文科省の有識者会議は今月、小中学校の道

徳教育を教科化し、検定教科書を使うよう提言

する報告書をまとめており、座長の鳥居泰彦慶

応義塾学事顧問が同日、下村文科相に手渡し

た。

 文科省は来年度にも学習指導要領を改定す

る方針で、下村文科相は「基本的な社会のルー

ルを学ぶ機会がないまま子供が成長している。今

後、中教審で報告書に沿った議論をしてもらいた

い」と話した。


(8) 朝日新聞 2013年12月27日05時

00分
道徳の教科格上げを報告 検定教科書導入も

盛る 有識者会議

 文部科学省の「道徳教育の充実に関する懇

談会」(座長=鳥居泰彦・慶応義塾学事顧問)

は26日、小中学校の道徳を教科に格上げする

報告書を下村博文文科相に提出した。検定教

科書や子どもの評価の必要性も指摘。「決まった

価値観の押しつけにつながる」と懸念も根強いが

、文科省は2015年度からの一部実施を検討し

ている。
(中略)
 一方、文科省は26日、「心のノート」に代わっ

て来春、新教材「私たちの道徳」を全国の小中

学校に配ると発表した。偉人伝や格言などの読

み物資料が大幅に増えた。下村文科相は同日

の記者会見で「授業や家庭で活用しやすい内容

とした」と説明した。


(9) 【文科省】1つの答えだけではない主体的

な道徳教育へ…12/26下村大臣会見
リセマム 2013年12月26日 21時32分

(2014年1月2日 06時38分 更新)


下村文部科学大臣定例記者会見のようす

 下村博文文部科学大臣は12月26日の定例

記者会見で心のノートの改訂版「私たちの道徳」

が完成へ、1つの答えだけではない主体的な道徳

教育を行うこと、などについて発言した。

◆12月26日のテーマ
1つの答えだけではない、主体的な道徳教育へ(

0:16~)(7:38~)

・1つの答えだけではない、主体的な道徳教育へ
 道徳の教科化の検討と並行して行われてきた

心のノートの改訂・編集がほぼ完成し、「子どもた

ちひとりひとりが自分でしっかりと考えながら道徳

心を培ってほしい」との願いを込めて付けられた新

たな名称「私たちの道徳」も公表された。2014

年4月から使用できるよう全国の小中学生に配

布される予定だ。
(以上、コピー)


 2013年12月26日ごろに、「心のノート」とい

う名称を改めて「私たちの道徳」(小学校低学年

・中学年は「わたしたちの道徳」)としたわけである

。僕が、「心のノート」を廃止してほしいと要望して

いる間に、返事もしない、回答もしないで、こんな

ことをしていたわけである。「心のノート」という名前

を棄てても、新しい冊子が「心のノート」を継承し

たものであって、「心のノート」(改訂版)と呼ぶべき

性質のものであることに変わりはない。「私たちの

道徳」の中味・内容は、「心のノート」を発展した

ものにすぎない。そして、これが将来の道徳の教

科書になるのである。
 そもそも「心のノート」は、Hayao Kawaiが

中心になって作成したものであるから、その本質

的性質はユング心理学に基礎を置くものであり、

子ども達をカウンセリング(=マインドコントロール)

してやろうという意図を有するものである。本来な

らば、これは道徳とは無縁なものである。かといっ

て、国語科に含めることもできなければ、社会科

にすることもできない。それならば、道徳に一応属

するものであるとするほかなかろう、ということで道

徳の副教材としたのだろう。2013年12月26日

に、「心のノート」を無理やり道徳の範疇に入れて

、将来の道徳の教科書の前身にしたのである。や

っていることが、めちゃくちゃではないか。
  「心のノート」を作成したHayao Kawaiは

、犯罪者(2回のウソツキ退職)である。高校勤

務時代のKawaiの教え子は、2千人から数千

人いるはずだが、Kawaiがタレント以上の有名

人になっても、誰ひとりとしてKawaiの思い出話

を語ろうとしない(「那須与一、将に射むとす」

(10月18日付)参照)。余程、非人間的な冷

たい数学教師だったのだろう。日本臨床心理学

会で、子どもの心理検査について、その非人間

的な取り扱いを批判されると、カンカンに怒って学

会を飛び出す(「冷血動物著「心のノート」

(2013.12.24付)参照)。「日本ウソツキクラ

ブ会長」などと、ふざけた、人を馬鹿にした発言を

行う。このような人物が作成した「心のノート」の後

継版を、道徳の準教科書にしようとしている。しか

もユング心理学は、悪を否定しないのである。こ

れを、道徳の準教科書にしようというのか。鳥居

泰彦(Yasuhiko Torii。「道徳教育の

充実に関する懇談会」座長)、下村博文

(Hirobumi Shimomura。文部科学大

臣)、安部晋三(Shinzo Abe)そして文部

官僚、お前たちの頭の中はどうなっているのか。お

前たちこそ、道徳教育を受けなければならないの

ではないか。


 要するに、当初は「改訂版 心のノート」を作るつもりであったのである。その原稿も、既に出来上がっているかもしれない。あとは、出版社に注文して製本するだけだろう。ところが急遽、2013年12月26日に、「心のノート」という名前を棄てて、「わたしたちの道徳」にすることにしたのである。何故だろう。僕が、2013年12月25日から27日にかけて、「心のノート」をおやめになったらいかがですか会計検査院が黙って見ていないでしょうと要望している間のことである。もしかしたら、会計検査院の会計検査が怖かったのだろうか。それは、そうだろう。官庁というものは、会計検査院が怖いに決まっている。「心のノート」との連続性を断ち切りたかったのだろうか。しかし、それは名称を変更しただけであって、中味はまったく変わっていない。非人間的で不道徳なHayao Kawaiとは 訣別したいということを意味しているのだろうか。



 今の子どもは、かわいそうだ。地域社会での大人や子どもとの関係が希薄になった。人格を通して、近所のおじさんやおばさんから教えてもらうことも稀だろう。子ども同士で泥まみれになって遊ぶこともない。外出するのは、せいぜい塾通いのときだけだ。遊びといえば、コンピュータ・ゲームだろう。それならば、せめて考える力を身につけてもらおうではないか。そうすれば、自分の力で道徳性さえも獲得することが可能になるかもしれないのである。電車の中で人をたたき起こしておきながら、我関せずとばかりHayao Kawaiの『心理療法序説』の書名をひけらかすように読んでいた大学生(「冷血動物著『心のノート』」December 24, 2013)は、考える力が欠落しているのである。Hayao KawaiやDaisaku Ikedaが不道徳なの、やはり考える力がないからである。
(青地部分は、追加事項)

2014年1月1日水曜日

さくら花

さくら花ぬしをわすれぬものならば吹き来む風に言伝てはせよ