2013年10月31日木曜日

間一髪

間一髪

 もう少しで死ぬところだった。間一髪で免れた。僕に過失はまったくない。死ななくても、重い障害が残ったかもしれない。
 そう言えば、2・3週間ほど前にも冷やりとした。これも過失はない。日本にいたときには、車に接触して路上に倒れ頭を打った。どうやら、なんともなかったようだが。この場合は、僕にも不注意はあった。

2013年10月30日水曜日

ステーションPARTⅡ

河合隼雄―駅長さん、駅長さん。久しぶりですなあ。
駅長―はて。どなたでしたでしょうかね。
河合―ほら、つい1年ほど前に、ここで長話をして。駅長はん、あんた天国行きの特急の出発時刻を遅らせたでしょう。
駅長―ええ、そうですか?出発時刻を遅らせる、なんてことはよくあることですからね。
河合―ああ、そうでっか。そのたびに神様に叱られてるのでしょう。でもね、わしの顔、思い出してくださいよ。
駅長―ええと。そうですなあ。あっ、そうだ。ピンサロの源さんでしょう。
河合―何ですか?そりゃあ。
駅長―ほら、ピンサロを経営しているとかいう。
河合―わしは、そんなもん経営していません。
駅長―そうですか?そうすると、・・・・。ああ、そうだ。詐欺師のヘラさんでしょう?
河合―あのね、駅長はん。もっとましな言い方はないのですかい。
駅長―ええ?詐欺師のヘラさんじゃないのですか?
河合―いや、そのう。当たらずといえども遠からず、ですわい。
駅長―それにしても、お客さんね。お客さんは、あんまり詐欺師らしい顔をしてはいらっしゃいませんね。
河合―でしょう?でしょう?だけどね、それは愚問ですよ。詐欺師がいかにも詐欺師らしい顔をしていたら、詐欺師の商売、できますか?
駅長―成程。いやあ、実に筋が通っていますなあ。
河合―でしょう?
駅長―それで今日はどのような御用事で?
河合―用事がないから、ここに来ているんじゃないですか。
駅長―ああ、そうですか。
河合―いやあ、今朝はね、朝風呂に入りましてね。いい湯でしたよ。
駅長―ほう、朝風呂?
河合―思わず鼻歌が出ましたよ。地獄よいとこ、一度はおいで アドッコイショ
駅長―鼻歌。
河合―それからね。♫いい湯だな いい湯だな 湯気にかすんだ 白い人影 あの娘かな あの娘かな♫
駅長―あのう、ちょっとね、お客さん。
河合―はい、はい。何ですか。
駅長―そのう、あの、湯気にかすんだ白い人影と歌いませんでしたか。
河合―はい、はい。確かにそのような鼻歌でしたよ。
駅長―それでね。お客さん。少しばかりね。つまらぬ質問をさせていただいてもよろしいでしょうか。
河合―はい、はい。何なりとどうぞ。
駅長―つまりですね。地獄にはですね。美しい女性はいらっしゃるのでしょうか。
河合―おう、それは中々いい質問ですな。地獄はね、美しい女性であふれかえっていますよ。
駅長―ええっ!本当ですか?
河合―おや、駅長さん。そんなことも知らなかったのですか。美人ほどね、地獄に落ちやすいという法則があるのですよ。これはね、フロイトの高弟であるレオナルド・ホラニャンという人が発見したのですがね。ホラニャンの定理というんですわ。
駅長―ほう、勉強になりますな。そうすると、右を向いても左を向いても、美人ばかり?
河合―はい、はい。まったくその通りです。どうですか、駅長さん。天国なんかに行っても、しょうもないでしょう?美人なんか、いやあしませんよ。
駅長―ええ。まあ。
河合―それならね。どうですか?ひとつ、いらっしゃったら。大歓迎しますよ。
駅長―あっ。いや。私はそのう、天国行きが既に決まっておりますので。悪しからず。
河合―ほう、それは残念ですな。
駅長―まったくです。何とかならんもんでしょうかねえ、再審で。あっ、いや、これは。今言ったことは、どうか忘れてください。
河合―へっへっへ。いやあ、駅長さんも見かけによらず結構女好きですなあ。
駅長―あのう、ちょっとねえ。わたしのことをそんな風に言わないでください。
河合―女好きといえばね、goromのやつも女好きなんですよ。
駅長―goromさん?一体誰ですか?
河合―このサイトの管理人ですがな。
駅長―ほう、管理人ですか。
河合―しょぼくれたやつですわ。女好きのノーベル賞好きなんですわ。
駅長―ノーベル賞好き?ノーベル賞を、いつもらったんですか?
河合―駅長はん、何をとんまなことを言っているんですか。ノーベル賞をもらうはずがないでしょう。
駅長―ああ、確かに。それで、ノーベル賞というのは、平和賞ですか?
河合―いやいや、平和賞には目もくれません。
駅長―それじゃあ、経済学賞ですか?
河合―経済学賞も眼中にありません。文学賞ですがな。
駅長―ええ?文学賞?ちょっと、このサイトのURLを教えてくれませんかね。どれどれ。ふむふむ。うーん。
河合―どうです?下手糞なひどい文章でしょう?
駅長―まったくですな。。ひどい文章ですな。
河合―全然見込みがないでしょう?
駅長―まったくありませんなあ。
河合―それでノーベル賞をくれと戯言を抜かしていやがるのですからね。
駅長―あきれたもんですなあ。それで、どんな小説を書いているのですか?
河合―駅長はん、驚くなかれ。まだ1本も書いていません。
駅長―ええ!書いていない?それでどうしてノーベル文学賞がもらえるのですか?
河合―ね?妙でしょう?
駅長―妙ですなあ。
河合―何でもね。やつの言うところによると、俺の頭の中に書いてある、そうですわ。
駅長―でもね、それではノーベル賞の選考委員は作品を読めないではないですか。絵に描いた餅ですなあ。
河合―いやね、「絵に描いた」ではなくて、「頭に描いた」なんですけどね。
駅長―ふーん。とにかく、インチキ臭いやつですなあ。
河合―まったくで。それからね、やつはね。村上春樹が受賞するのを邪魔しよう邪魔しようともしてるんですわ。
駅長―ほう、陰険なやつですなあ。
河合―それでね、ノーベル賞の選考委員に直訴しましてな。
駅長―直訴?
河合―選考委員の皆様、どうか村上春樹にだけは、やらんと
いてね、その代わり、どうか哀れなこのわたくしめに、とね。
駅長―あきれや野郎ですな。
河合―これは威しですなあ。
駅長―威しですかねえ。でもね、こいつは物の数に入っていないのでしょう?
河合―勿論、勿論。
駅長―物の数に入っていないものが、何を言っても威しにはならないでしょう。
河合―うーん。それからね。わしにもなんだかんだと言いがかりをつけてくるんですわ。
駅長―言いがかり?
河合―おい、こら。お前、さっき路上で屁をこいただろう、逮捕する、とね。
駅長―ええ?そんな逮捕、聞いたことがありません。世界中のどこの国でも、法律で屁を犯罪にしている国はありませんよ。
河合―でしょう?
駅長―立ち小便なら軽犯罪法に引っかかるかもしれませんがね。屁はねえ。ひどい、言いがかりですね。
河合―でしょう?そしてね。わしの息子や弟子にですな、因縁をつけて金を寄こせと言っているんですわ。
駅長―わあ、ひどいやつですなあ。どんな因縁ですか。
河合―何でもね。眼を付けたとか何とか言ってましたよ。
駅長―へえ。
河合―そしてね、金を寄こさないと殺すぞと脅迫してるんですよ。
駅長―わあ。おっそろしい。ヤクザですな。拳銃で、バーンですか?
河合―あんたね、駅長はん。あの貧乏人が、拳銃買う金なんか持ってますかいな。先だってはね、中国に出稼ぎに行こうとしたんですわい。
駅長―ほほう、中国に。
河合―日本では、仕事がありませんからな。それでね、船の切符を買うお金を持ってないでっしゃろ。それで何をしたかと言うと、輸出品のトヨタの車のトランクの中に隠れておったんですわい。
駅長―車のトランクに。
河合―ところがね、運が悪いというか、間が悪いというか、税関員がたまたまその車のトランクを開けてしまいましてな。
駅長―それで見つかったのですか。
河合―はい。
駅長―拳銃は買えないとなると、何で殺すと言ってるのですか。
河合―それがね。弓矢ですわい。
駅長―弓矢。古風な趣味ですな。だけど、弓矢では届かないでしょう?
河合―届きませんな。海の中に、ポチャンですわ。だから、わしはそのことについては何の心配もしていません。だいたいね、格好つけて平家物語の那須与一を気取っているのですがね。古典文学の平家物語を捏造してるんですわ。
駅長―捏造?
河合―それが、またおかしいんですよ。捏造して勝手に作り変えたのですがね、文法を間違えていやがるんですわい。
駅長―ハハハハ。どじですなあ。
gorom―おい、こら、ヘラサギ。見ず知らずの駅長におれのことをペラペラしゃべるな。馬鹿野郎。
駅長―あの人は誰ですか?
河合―あれが今話してたgoromですよ。
駅長―はは。あの人がgoromさんですか。それにしても、デエサクさんのときと違って、ちっとも怖くありませんなあ。
河合―そりゃあ、あんた。デエサクの真似をして化けて出てきたけれども、だいたいにおいてデエサクとは人間の格が違いますからな。
駅長―まったくですなあ。つまらない人間が、猿真似をしても笑いものの種になるだけですなあ。
河合―おっしゃるとおりです。その上、目が細くて鼻がぺちゃんこときている。色が黒くて足が短い、ちびくろサンボみたいなやつですからなあ。
駅長―まったく、おっしゃる通りで。え?ちょっと待ってください。今、足が短い、とおっしゃいませんでしたか?
河合―はい、確かに。あっ、そうか。あいつには足があったのか。(ブルブル。ガタガタ。)
駅長―ここに来て、震えだしましたね。
河合―やっぱり幽霊ではなかったんですよ。おお、怖。もうgoromの話はやめときましょう。
駅長―そうですな。そのほうがよろしいでしょうな。それで、さっきのお風呂の話ですがね。ちょっと、おかしいのですが。地獄には、お風呂はないはずですがね。灼熱地獄で温泉が出るのかな。お客さん、灼熱地獄にお住まいで?
河合―いえいえ、違いますがな。
駅長―うーん。一体どんなお風呂ですか?
河合―まあ、普通の五右衛門風呂ですわなあ。
駅長―ああ。それはね、お風呂ではありません。釜茹でですよ。
河合―知ってまんがな、知ってまんがな。そんなことぐらい。毎日、「あちい、あちい」と泣いておりますがな。
駅長―それなのに、どうしていい湯なのですか?
河合―それはね。へっへっへ。ちょっと細工をしてやりましてなあ。
駅長―細工?
河合―へえ。ちょっとボイラーに手を加えたんですわ。
駅長―ボイラー?五右衛門風呂はね、薪を燃やして焚くのですよ。
河合―駅長はん。頭が古いなあ。今ではね、地獄の釜茹でもガスのボイラーですわ。
駅長―ああ、そうでしたか。いやあ、知りませんでした。
河合―それでね。今朝そのボイラーに、ちょこっと細工をしておいたんですわ。42度ぐらいまでしか温度が上がらないようにね。
駅長―ふーん。
河合―そうすると、結構な朝湯になったというわけで。いやあ、気持ちよかったですわい。これから毎日、朝湯に入って美人の裸を鑑賞できるかと思うと、小原庄助さん、なんで身上つぶした。朝寝朝酒朝湯が大好きでと歌いたくもなりますわなあ。
駅長―それは、それは。
駅員―駅長。(ヒソヒソ、ヒソヒソ)
駅長―うん、うん。分かった。えーと。お客さんね、今、当駅の待合室に地獄の獄卒さん達が集っておられましてね。今度は、ワンランク上の地獄になるそうです。阿鼻地獄になるのか叫喚地獄になるのかは知りませんがね。すみませんが、待合室まで御足労願えないでしょうか。

河合―ああ、そうですか。はい、分かりました。

2013年10月29日火曜日

ステーション

駅長―右よし。左よし。指差確認よーし。
河合隼雄―あのう。もしもし、駅長さん。
駅長―はいはい。何ですか?
河合―ちょっと、つかぬことをお尋ねしますが。
駅長―はいはい、何なりとどうぞ。
河合―あのう。つまりですね。そのう。地獄行きの列車は何時発でしょうか?
駅長―地獄行きですか?えーと。何時だったかな。ああ、そうそう。思い出しました。今、わたしが見送ったばかりでした。ほら、あそこに赤いテールランプが見えるでしょう?あれが地獄行きの特急針の山エクスプレスですよ。
河合―ありゃ。えらいことしてしもた。乗り遅れてしまいましたわい。
駅長―それはそれは、お気の毒なことで。
河合―次は何時の出発になりますか。
駅長―この次はですね。えーと。天国行きの特急スーパーエンジェル号なら二十分ぐらいで出るのですがね。地獄行きの出発はと。ああ、そうそう思い出しました。一年後の今日のちょうど今の時間になります。
河合―ええ?一年後ですかい。ありゃ。大変なことになってしもた。閻魔はん、怒らはりますやろか。
駅長―そりゃ、一年も遅刻すれば誰だってカンカンになるでしょう。
河合―わあ。クワバラ、クワバラ。せっかく切符を買ったのに。どうしたもんでしょうかね。
駅長―ちょっと、その乗車券を拝見。どれどれ、「現世から地獄ゆき。グリーン乗車券。」あれ。おかしいな。地獄行きにはグリーン車は連結していないはずですがねえ。天国行きなら、つないでいるんですよ。誰から買ったんですか?この乗車券。
河合―駅の出札窓口の駅員さんからですわ。駅員さんもグリーン車はない、の一点張りだったんですがね。そこはあんたはん、百戦錬磨のあっしですさかいにな。ちょっと万札を握らせてですな。ヒッヒッヒ。
駅長―これはこれは。どうも。品のよろしい笑いかたで。しかしですな。グリーン車がないのに切符だけグリーン乗車券を持っていても、これは、いかんともし難いのではありませんか?
河合―そこのところを、ひとつ何とかなりませんでしょうかねえ。わしぁね。東京と往復する時はいつも新幹線のグリーン車を利用していたんですわ。すっかりグリーン車に慣れてしまいましてな。この年になって普通車に乗るのは、あんまり酷だと思いませんか?
駅長―ああ、そうですか。ずいぶんとお金をお持ちのようですな。
河合―そりゃ、あんたはん。文化庁長官の高給でっしゃろ。その上、毎月、印税がガッポリですさかいにな。世の中には、なけなしの金をはたいて、わしが適当に口からでまかせで書いた本を買ってくれるアホが、ごまんといるんですわ。ヒッヒッヒ。
駅長―これはこれは。またまた、品のよろしい笑いで。だけど、ないものは、これはどうしようもありませんなあ。
河合―あんた、駅長さんでしょう?
駅長―はいはい。わたしは確かに駅長ですよ。
河合―そこんところを、何とかならんもんでしゃろか。
駅長―いくら駅長でも無理ですな。ちょっとね、袖口から一万円札を忍び込ませても、駄目なものは駄目ですな。
河合―それなら、どうでしょうか。天国行きのグリーン車のほうに乗せてもらうわけにはいきませんかねえ。
駅長―ちょっとねえ、お客さん。ドサクサに紛れて変なことを言わないでください。あっ。分かった。天国行きの特急列車に、こっそり潜り込んでやろうと考えているんでしょう?
河合―・・・・
駅長―まったく油断も隙もありゃあしない。いけませんよ。そんなけしからん料簡では。そうだ。駅員たちに人相書きを配って注意するように言っておかないと。
河合―それじゃあ、まるで指名手配ではありませんか。あーあ。困ったなあ。こんなことになるなら、河原町で一杯飲るんじゃなかった。
駅長―河原町ですか?賽の河原のことで?
河合―いえいえ、違いますがな。京都の河原町ですがな。
駅長―へー。そいつはうらやましい。おひとりで?
河合―いえいえ。友達二・三人とですがな。
駅長―ほほう。ということは、お友達が歓送会を開いてくれたわけですね。
河合―ちょっとね。駅長さん。いくら何でも歓送会はないでしょう。
駅長―あっ。これはこれは。失礼いたしました。
河合―それでね。そのうちのひとりが、デエサクなんですわ。こいつはね、いかれた新興宗教の教祖みたいなのをやっていましてね。こいつがまた、女好きの、勲章好きときてるんですわ。
駅長―ほほう。
河合―駅長はん。ちょっと想像してみてください。真夜中に部屋中に外国の勲章を並べて、ニターリ、ニターリとしているのと、真夜中に燈明の油をペローリ、ペローリと舐めているのと、どっちが気持ち悪いですか。
駅長―そうですねえ。わたしは結構、油を舐めるのが好きでしてねえ。胡麻油なんか、おいしいですよ。
河合―駅長さん。あんたと話していると、どうも話の腰を折られるようで、いけませんなあ。
デエサク―おい、こら。ハヤオ。見ず知らずの駅長に俺の秘密をばらすな。馬鹿野郎。
河合―わあ。出たあ。
駅長―あれは。誰ですか?
河合―デ、デエサクですがな。(ブルブル、ガタガタ)
駅長―ほう。あのひとが。確かに助平そうなお顔ですな。
河合―そうでしょう?本当に助平なんですわ。
駅長―それで、あのど助平爺さん、いつお亡くなりになったのですか?
河合―え?お亡くなり?いや、まだ死んではいません。
駅長―死んではいない?そうすると、さっきのあれは何ですか?
河合―さあて。何でしょうかねえ。幽霊でもないし。
駅長―まだ生きているのだから、幽霊ではありません。そうすると本物の幽霊は、どちらでしょうかねえ。
河合―本物?本物は、・・・・。どちらかと言うと、このわしのほうではないでしょうか。
駅長―でしょうな。それにしても、まだ死んでもいないのに、幽霊のところに化けて出るとは。いい度胸しておられますな。いやな世の中になりましたなあ。
河合―まったくで。本当にせちがらい世の中になりましたなあ。これでは、幽霊としてのアイデンティティの確立が難しくなりますわ。
駅長―おや。ずいぶんと難しい言葉を知っておられるようで。
河合―へっへっへ。いやね。
駅長―それで、河原町の飲み会のほうは、どうでした?
河合―いや、それがね。まるでお通夜みたいにしんみりとした飲み会でしたわ。
駅長―ええ?それは、つまり。お客さんのお通夜ではないでしょうか。
河合―あっ。そうか。あれはお通夜だったのか。道理で、陰気な暗い飲み会やなあと思ってましたわい。いやね。本当のことを言いますとね。わしは、ただ横で、横になっていただけですさかいにな。ちょっと、眠たかったもんやさかい。
駅長―でしょうとも。でしょうとも。
河合―結局、わしだけ、一滴も飲んでいないんですよ。あんな飲み会、初めてですわ。
駅長―でしょうとも。でしょうとも。
河合―普段はもっと盛大にやるんですよ。ただね、おなごはんのいる酒場には行けませんわ。
駅長―ええ?どうしてですか?
河合―どうしてって。ほら。女好きのデエサクのやつも一緒でしょ。傍でね。「外国の勲章をいっぱい見せてあげるからさ。ねえ、僕んちに来ない?」とかなんとか言ってたら、あんたはん、落ち着いて酒なんか飲んでられまっか?
デエサク―おい、こら。ヘラサギ。見ず知らずの駅長に、俺のことをペラペラしゃべるなと言ってるだろ。馬鹿ったれ。
河合―わあ、また出たあ。(ブルブル。ガタガタ)
駅長―何もそんなに震えなくても。顔色が真っ青ですよ。幽霊なんですからね。もっとしっかりしてもらわないと。
河合―そんなこと言ったって、駅長はん。まだ新米の幽霊ですさかいに。
駅長―それで、ヘラサギとか言ってませんでしたか?ヘラサギとは何ですか?
河合―ああ、それはね。わしのことですわい。何にもないのに、いつもひとりでヘラヘラ笑っている詐欺師という意味ですわい。
駅長―ほほう。成程、成程。
河合―もう飲み会の話はやめときましょう。話題を変えませんか。ねえ、駅長さん。お願いしますよ。
駅長―ええ?何の話ですか?
河合―だから、グリーン車。
駅長―また、その話ですか。だからねえ。駄目なものは駄目なんです。
河合―そこんところを無理にお願いしているんではありませんか。ねえ。お願いしますよ。天国行きの列車のところに行って、ちょっくら失敬、と1両借りてくれば済む話ではありませんか。
駅長―そんな簡単な話ではありません。
河合―駅長はん。あんたの権限でやればいいでしょう。
駅長―あのね。駅長といっても、そんな権限はありません。
河合―すると何ですか。駅長というのは、いわゆる名ばかり管理職なんですか?
駅長―いや、いや。そういうのとは。
河合―あーあ。
駅長―ところで、お客さんは何のご商売ですか?
河合―わしはね、心屋ですわい。
駅長―心屋さん。ほほう、それはまた変わったご商売で。どんなものを販売しておられましたか?
河合―わが社の主力商品はね、“ユング印の阿呆マンダラ”ですわい。
駅長―ほう、“ユング印の阿呆マンダラ”。売れましたか?
河合―まあ、ぼちぼちでんな。
駅長―それは、どんなものですか?
河合―まあ、言ってみれば、絨毯に模様がありますやろ。その模様みたいなものですわい。
駅長―はあ、そうですか。人に踏みつけにされるものですな。
河合―何とおっしゃる。そんなことはありまへん。
駅長―他にはどんなものが?
河合―そうですな。変わったところでは、“ユングの屁の瓶詰”というのがありますな。
駅長―ほほう。それはまた不思議な商品ですな。
河合―これを売るためにですな。大々的なキャンペーンを張りました。テレビやラジオのCMや、新聞広告で盛んに宣伝しましたわい。「落ち込んでいる人やすっかり自信をなくしてしまった人に、この一本。“ユングの屁の瓶詰”を開けて、家族みんなで嗅ごう。おじいさんも、おばあさんも、おとうさんも、おかあさんも、おにいさんも、おねえさんも、それからぼくもわたしも。これ一本でたちまち元気になれまーす。周りの人が、みんな馬鹿に見えてきまーす」とね。
駅長―ほほう。それで売れましたか?
河合―それがね。さっぱりですわ。
駅長―やっぱり。
河合―色々と趣向を凝らしてみたんですがね。玉ねぎ風味とかにんにく風味とかね。
駅長―はあ。それでも駄目ですか。
河合―あきまへんなあ。
駅長―だけどね、お客さん。ちと妙ではありませんか。ユングとかいう人は、もう何十年も昔に亡くなっているのではありませんか?そんな人のオナラを、一体どうやって採取したのですか?
河合―へっへっへ。それはね、企業秘密ですわい。
駅長―変だなあ。そんなことできるわけがありませんよ。
河合―あのね、駅長さん。エジプト考古学ではね。今、大論争が行われているのですよ。どうやって、ミイラから屁を取り出すか、ということがね。
駅長―本当ですか?
河合―そのうちに、“ツタンカーメン王の屁の瓶詰”という商品を売り出す業者が出てくるでしょうな。
駅長―ええ?なんか胡散臭い話だなあ。
河合―いやね、胡散臭いではなくて、本当に臭いのですわ。だけど駅長さんね。古代のエジプトの王様がですよ。どんな臭いの屁をこいていたかということを考えておりますとな。歴史のロマンを感じませんか。
駅長―ええ?いやあ。わたしは別に。
河合―そうですか。それは残念ですなあ。
駅長―それにしても、どうも、おかしいな。あっ、分かった。それはユングではなく、お客さんのオナラでしょう。
河合―いやあ、駅長さん。その先の先を読む先見の明、深く鋭い洞察力。恐れ入りましたなあ。
駅長―いや、これは、どうもどうもです。だけどね。まだ分からんことがあるのですがね。それで、そのにんにく風味というのは、どうやって味付け、というか臭い付けされるんですか?
河合―それはね、簡単ですわ。わしがね、朝から晩までにんにくばかり食っているんですわ。そうするとね、数日で屁の臭いがにんにくの臭いになるんですなあ。
駅長―ほほう。
河合―ところがね。ここでひとつ問題が出てきましてなあ。京大の学生どもが、ギャアギャア騒ぎよるんですわ。臭くてわしの講義なんか聞いておれんと言うのですわ。生意気でやんしょ?
駅長―ほう。
河合―あ、いや。これはね、にんにくの話ですよ。屁じゃありませんよ。そこんところを、お間違えのないように。
駅長―はい、はい。間違えたりなんかしません。それで、心屋さんになる前は、何をしてらっしゃったんですか。
河合―心屋の前はね。数学屋ですわい。
駅長―ほう。そうすると、心屋さんの前は頭屋さんだったわけですね。
河合―うまい!おい。駅長さんに座布団1枚やっとくれ。
駅長―これは、これは。ああ、ちょっと、その履歴書を見せてください。あれ?おかしいな。頭屋さんの経歴のところが、抹消してありますけど。
河合―ああ、それはね。そこんところの経歴が、気に食わんもんですさかいにな。書き換えてやろうと思っているんですわ。屋台で綿あめ売っていたことにしてやろうと思いましてな。
駅長―だけどねえ、お客さん。これは閻魔様に提出なさる履歴書でしょう?勝手に書き換えたりなんかして、いいもんでしょうかねえ。
河合―なあに。構わしまへんがな。
駅長―そうでしょうかねえ。お客さんは、屁をおこきなさるのが結構お上手なようにお見受けしますが?
河合―そうですなあ。達人と言ってもよいでしょうねえ。
駅長―ほほう。“ユングの屁の瓶詰”以外に、これまでにどのような屁をおこきになったんですか?
河合―そうですなあ。まず、“ウソツキ退職”っ屁というのを、ぶち上げましたなあ。
駅長―ほう。“ウソツキ退職”っ屁。
河合―これをな、2発ぶっ放しましたわい。まあ、イタチの最後っ屁みたいなもんですけどね。
駅長―イタチの最後っ屁、2発も。それから、どのような屁を?
河合―そうですなあ。極めつけは、何と言っても“心のノート”っ屁でしょうかねえ。
駅長―“心のノート”っ屁。
河合―はい。これはね、日本中のガキどもに、わしの特盛の臭い屁を思いっきり嗅がせてやりましたわい。へっへっへ。
駅長―日本中のお子様方に。特盛の?それはそれは。大したもんでございますなあ。
河合―へっへっへ。駅長さんね、お願いしますよ。
駅長―え?何ですか?
河合―だから、グリーン車。
駅長―まだ、そんなことを言っているのですか。駄目ですよ、お客さん。臭いグリーン車を走らせたら、当社のお客様が減るではありませんか。
河合―ありゃあ。しくじってしもたわい。それじゃあね。ちょっとお聞きしますがね。天国行きの切符を持っているのに、地獄行きの列車に間違って乗ってしまう間抜けなやつはいませんか?
駅長―そうですねえ。ひとつの列車に一人や二人は大抵いらっしゃるようですよ。
河合―ほほう。それで、そのお間抜けさんたちは、どうなります?
駅長―どうなるのでしょうね。とにかく、地獄駅に近づくと、こんな車内放送があるんです。「特急“針の山エクスプレス”号をご利用いただきありがとうございました。まもなく終着、地獄駅に到着いたします。お降りの際は、お忘れ物のないようご注意ください。特に神棚、失礼しました、網棚の上、座席の下、お隣に座っていらっしゃるお客様のポケットやハンドバックの中を、ようくご確認ください。なお、当駅のホームには、ところどころ落とし穴が仕掛けてございます。とは言え、足元ばかりに気を取られすぎていますと、天井から何やら得体の知れない物が落ちてくることがあります。くれぐれもご注意ください。それでは皆様、本日の御乗車ありがとうございました」とね。それで、やっと乗り間違えていたことに気が付くんですなあ。さあ、それからが大変。大騒ぎになるんですよ。
河合―ふむふむ。成程、成程。
駅長―あっ、お客さん。まだ、よからぬことを考えているのでしょう。身代わりとか、なりすましとか、すり替わりとか。河合―・・・・。
駅長―いけませんよ、そんな不届きなことを考えては。どうせね、うまくいきませんよ。
河合―ああ、そうだ。駅長さん。今度の天国行きの特急は、いつ出るんですか?
駅長―天国行き?ええと、今何時かな。あっ、いけない。天国行きの出発時刻が、もう1時間以上も過ぎている。大変だ。わあ、また神様に大目玉を食ってしまう。それではお客さん、このへんで失礼します。

河合―ハハハハ。すっとんで行きよった。そんなにあわてたら、お客とぶつかるがな。おっと危ない。あーあ、転んでしもうた。

2013年10月28日月曜日

バッハとブラームスとワーグナー

バッハとブラームスとワーグナー

 『音楽現代』という雑誌があった。今から30年ほど前にはあったのであるが、今あるかどうかは知らない。その雑誌で、あるときブラームスを特集した。その中で、バッハとブラームスとワーグナーとを比較して論じた記事があった。執筆していたのは、名前は忘れたが日本の作曲家である。
 この3人がある状況において、どのような行動をするか、というものだった。ある女性に恋したとする。ところが、その女性は人妻であることが分かった。さて、この3人は、どのように行動するだろうか。
 まず、バッハの場合である。急に、その女性に冷淡になり、背を向けてしまう。あんなに好きだったのに、どうして冷たくなったのかと問われると、だって人妻だもの、と答える。
 次は、ブラームスである。自分の恋を相手に打ち明けることもできず、いつまでもいつまでも、ひとり、うじうじと思い悩んでいる。
 最後は、ワーグナーである。この人は、人妻であろうが何であろうが、お構いなしである。何かに憑かれたような眼をして、周囲の思惑もまったく気にせずに、女性を追いかけ回す。
 以上がこの雑誌の記事の一部であるが、ずいぶんと昔のことなので、僕なりの言葉で記したところもある。
この3人の中で最も理想的な人物は、やはりバッハだろう。バッハは、人格的にも優れた人であっただろう。バッハこそ最高の音楽家である。バッハの厖大な数の楽曲のひとつひとつが、すばらしい輝きを放っている。その次は、モーツァルトになるか。
 ブラームスはちょっと情けない。その音楽は地味である。ブラームスは、クララ・シューマンに恋していた。しかし、その恋が成就することはなかった。恩人とも師とも仰ぐロベルト・シューマンを敬慕していたからである。
 ワーグナーは自由奔放である。その音楽は派手である。ユング、ナチス、ワーグナーの三者には、どこか関連性があるようである。日本では、小泉純一郎が熱狂的なワグネリアンである。河合隼雄が文化庁長官に就任した時の首相であった。河合が就任のあいさつに小泉を訪れた時、両者は初対面であったが、すぐに意気投合した。小泉は、京都に新しく設ける(文化庁長官の)長官分室に、「必ず行く」と子どもみたいなことを言っていた(新聞報道による)。首相が長官分室なんかに行って、どんな仕事ができるというのだろう。その後、心のノートを河合が作成したとき、小泉はやはり首相であった。

 ここで、ワーグナーの楽劇からひとつ取り上げる。タンホイザー序曲である。
 この曲は、3つの構成部分から成り立っている。まず、呈示(前半部)。次に、反対呈示(中間部)。そして、呈示の変容(後半部)である。第一の呈示が、反対呈示を経ることによって変容を遂げるのである。
 前半の呈示は、静かに始まる。静謐、そして清らかな愛がテーマであると考えられる。次の中間部の反対呈示に至って、曲調は大きく変化する。猥雑で騒がしい。若干、嫌悪感さえ覚える。後半部になると、前半部の呈示が再び現れてくる。しかし、今度は趣ががらりと変わっている。同じメロディなのだが、味付けが違うのである。何か崇高さのようなものを、作曲者は加味しようとしたのだろう。ここで、ワグネリアン達は、陶酔感・高揚感に浸ることになる。やったぞ。遂に高次の愛、至高の愛を手に入れることができた。万歳。万歳。
 僕は思う。この曲は愛をテーマにしているようだが、特に後半部においては、音符のどこにも愛という文字は記されていないのである。ただただ、何か得体の知れない物に対する陶酔・狂信しかないのである。これは、本物の愛だろうか。むしろ、前半部分のほうが、やや愛に近いかな、という気がする。
 ここで、胸で高鳴る音楽が、ブラームスの交響曲第3番の第3楽章に切り替わった。この曲は、第4番とともに、ロベルト・シューマンの死を悼んで作曲されたとする説がある。ところが、シューマンが亡くなった年と、この曲が作曲された年の間には27年もの開きがあるのである。だから、真偽のほどは分からない。ただ、この曲がシューマンの死を悲しんで作曲されたのだということを念頭において聞いてみると、ぴったりと符合することも確かである。いずれにせよ、この曲は、喪失の悲しみを歌っているのではないだろうか。胸に響き渡る哀切な音楽に耳をすましながら、思わず目に涙があふれた。

2013年10月27日日曜日

「平家、海の藻屑となる」に追加します

「平家、海の藻屑となる」に追加します

昨日の「平家、海の藻屑となる」の最後の段落に、付け加える。

 北山修は精神科医になったが、曲(詞)を書けなくなった。精神科医になったから曲を書く必要がなくなった、のではない。精神科医になったから曲が書けなくなった、のである。そこのところを間違えてもらっては困る。精神科医は、芸術を鑑賞し、享受し、創作し、などということから遠ざけられている(フォーククルセダーズの音楽を、仮に芸術と仮定しての話である)。たとえ善意であっても、人の心を癒してやろうとする者が、そんな傲慢な者が、芸術を理解し、作り出すことができるわけがないではないか。いまだに、ラジオの歌番組のパーソナリティをやっているようだが、そんな糞みたいな番組を聞くな(営業妨害だ、逮捕する。なんだと。これは正当防衛・緊急避難みたいなものだ。それにしても、「正当防衛で脅迫しました」と言ったら、裁判官は何と答えるのだろう)。

2013年10月26日土曜日

平家、海の藻屑となる

平家、海の藻屑となる

 平家物語、那須与一が扇の的を射切った場面に引き続いて、ひとりの男が与一に射殺される。この段は、教科書には載らないだろう。
 那須与一の快挙に、源平双方とも喝采の声を上げる。戦場は、与一の快挙に酔いしれる。そんなとき、平家のひとりの男が、感極まって船の上で踊りだした。与一は、その男を射殺したのである。戦場は、冷水を浴びせかけられたように、シーンとする。
 何もそこまですることはないではないか、ひどすぎる、と平家方の人々は思っただろう。何か恐怖のようなものを感じた人もいるだろう。俺たちは、もうおしまいなのではないか、と考えた人もいるだろう。
 京都に入り、天下を手中に収めた平家の人々は、貴族たちが愛好する雅の世界にすっかり魅せられてしまった。こんな素晴らしい世界があったのかと夢中になり、自分たちが武士であることを忘れてしまった。貴族になりたい、貴族になりたいと願うようになった。そんな時、東国で源氏の生き残りの頼朝や義経が旗揚げすると、もう対抗する力もなくなっていたのである。
 自分たちが武士であることを忘れ、命をやり取りする場である戦場においてさえ雅を持ち込もうとした平家が滅び去っていくのは当然であると言えよう。那須与一に射殺された哀れな男は、そんな平家の運命を象徴しているのである。

 自分の本分を忘れたとき、そこから転落が始まるのかもしれない。心理学者を自称する者が、その仕事において、芸術に興味・関心を示すとはどういうことなのだろう。心理学者なる者が芸術を分析してやろうとするとき、芸術は天岩戸のようなところに隠れてしまう。芸術は、その心理学者なる者の前に、二度とその姿を現すことはない。芸術を鑑賞し、享受し、創作し、というようなことは、こいつらにとっては手の届かないところにあるのである。

2013年10月25日金曜日

いずれ悪魔は自滅するだろう

いずれ悪魔は自滅するだろう

 昨日あげた「模造品」の冒頭箇所が、手違いか何かで消えていた。訂正する。

 これまでの歴史において、悪魔は時々その姿を現してきていたようである。ところが、やはり悪魔は、自ら進んで滅んでいたにちがいない。そうならなければ、もうとっくの昔に、世界は悪魔の天下になっていただろうからである。
 悪魔というものは、ちゃんと自分で滅んでいってくれる手の掛らないやつらなのだから、自然の成り行きに任せておけばいいではないか、ということにはならないと思う。悪魔の自滅には前提条件があるのである。神と人とが最善を尽くして悪魔と戦い、その戦いがクライマックスに達した時に、悪魔は突然自滅していくのである。ユング派という不思議な、これまで見たこともないような悪魔を目にして、ただ手を こまねいていてはいけないと思う。どうか悪魔を打ちのめすために力を尽くしてほしい。