2013年10月18日金曜日

那須与一、将に射むとす

(このサイトのブログアーカイブでタイトルが並んでいますが、下から読んでいただいたほうがよろしいかと思います。)


那須与一、将に射むとす

 どうやら、大きな戦略的ミスを犯してしまったようである。今この時点では、ターゲットをユング心理学のみに絞るべきであった。それを欲張りすぎた。そのために、真のターゲットに対する攻撃の矛先が、鈍くなってしまったのである。やはり僕は、源九郎義経や諸葛孔明にはなれそうもない。せいぜい、石田三成というところか。だから、早く僕よりも有能な人が出てきてほしいのである。実はここで、現代医学に関するあることを書いた。しかし、これは削除して(=コピーして、しまっておいて)またの機会に、ということにする。

 このWebサイトは世界中の方々に御覧いただいているようなので、全世界の人々に訴える。どうかユング派を撲滅していただきたい。この感染症は、ドイツで生まれ(正確にはスイスと言うべきかもしれないが、CG・ユングはドイツ人であるから、このようにしておく)、アメリカに広がり、日本に上陸したかと思うと、瞬く間に多くの人が感染してしまった。この感染症の終息に力を尽くしていただきたい(現代医学を憎む僕としては、このような表現を使いたくなかった)。

ユング心理学をごみ箱に捨ててしまうと、心をポカポカと温める目に見えない懐炉(「ユングは新しい福音になりうるか」参照)も捨てなければならないではないか、とお考えの人にために代替案を提案したい。ヨガや座禅や自律訓練法である。これらによっても、目に見えない懐炉は得られるのではないかと思う。

 「ユングは新しい福音になりうるか」は、僕の3本目の論文になるはずだった。ところが、奇妙なことが立て続けに起きた。掲載してあげようと言ってくれた雑誌が廃刊になった。他の雑誌では、編集者が行方不明になった。何か、言論統制のようなものを感じた。

 ここで河合隼雄(Hayao Kawai)のウソツキ退職について、もう一度整理しておこう。河合は奈良の勤務高校在職中に、昼間の京都大学大学院に進学した。大学院進学にあたっては、次のように申告しなければ認めてはもらえないだろう。「大学院で習得した知識やスキルを、将来本校の生徒指導等に役立てたい」と。勤務高校は、しぶしぶと許可した。「しぶしぶと」というのは、河合が勤務しながら昼間の大学院に通学することによって、担任業務、校務分掌、生徒指導、部活動指導などに支障が出るからである。ただでさえ忙しい他の同僚に穴埋めしてもらわなければならない。このようにして、給料ももらいながら大学院に通ったわけであるが、修了するやいなや高校を退職してしまった。そして、天理大学教授になった。だから、詐欺だと言っているのである。さらに、天理大学においても、同じ詐欺を繰り返している。この場合は、大学院進学ではなく、外国留学であった。こうして、京都大学教授になった。勤務高校が河合を告発しなかったのは、おそらくその管理者が、お人好しのボンクラだったからである。そのために河合は味をしめて、次の天理大学でも同じ詐欺事件を起こしたではないか。河合の犯罪には常習性がある。
 以上の事柄は、公になっている情報から読み取ったにすぎない。また、勤務高校を当初、天理高校と考えていたが、どうやら違うらしい。奈良育英高校が正しいのかもしれない。いずれにせよ、ある分野の第一人者であり、人気作家も顔負けするほどの売れっ子でもあり、文化庁長官にも就任した人物の勤務高校名がはっきりしないのは不可解である。河合が隠そうとしていたからである。そして、高校の教え子たちも、河合を嫌っていたからでもあるだろう。河合の教え子は、数千人いるだろう。高等学校だから、3年間に数百人の生徒を教えることになる。河合が、タレント以上の有名人になったにもかかわらず、教え子の誰ひとりとして河合の思い出話を語っていないのである。余程、冷酷で人間味のない温かみのない数学教師だったのだろう。後年、河合が悪魔になる素地は十分にあったわけである。
 このような人物に、道徳の副教材「心のノート」を作成させるとは何ごとか。
 日本の小・中・高の教員たちは、生徒が転んだとき、手を差し伸べようとする。それが、全人格的なものであるとき、自分の持っているものすべてを賭したものであるとき、そしてそれが生徒の心に伝わったとき、大抵の生徒は自ら起き上がろうとする。「さあ、自分の力で立ち上がりなさい」と言うだけでよいのである。その後は、ただじっと見守っているだけでよい。細々としたことを、教示する必要もあまりない。但し、これをカウンセリングをもって行おうとしては絶対にいけない。どんなに低姿勢、優しさを装おうとしても、相手はその傲慢さ・不遜さを敏感に感じ取ってしまうものである。

 9月にアップした「昔話」の中に、実は次のような箇所があった。

失意や悲しみに裏打ちされながらも、遙かな憧れに満ちた曲を現代のシンガーソングライターが書いている。大貫妙子の「黒のクレール」である。

 僕はこの文章を抹消した。大貫妙子の曲について調べていると、谷川俊太郎がある曲の詞を提供しているのが分かったからである。「黒のクレール」ではない。「黒のクレール」は、大貫妙子の作詞作曲になるものである。そこで迷ってしまった、というわけである。しかし、谷川俊太郎がある曲の詞を提供していたからといって、大貫妙子がユングファン・河合ファンであるとは限らない。そして仮に、大貫妙子がユングファンであったとしても、少なくとも「黒のクレール」を書いた頃には、まだユングファンにはなっていなかったにちがいない。このように考え直して、やはりあげておくことにする。

“瑠璃色の地球”は、松田聖子や中森明菜が歌っても、大ヒットしなかった。その代わり、合唱曲に編曲されてよく歌われているようである。この曲はすばらしい。歌詞では、「朝陽が水平線から 光の矢を放ち」というところが、うまいと思う。そして、何と言っても、メロディがすばらしい。たぶん作曲者は、意識していなかったのではないかと思うが、慰めに満ちたメロディである。その力は、モーツァルトの協奏交響曲の第2楽章に相当するほどだと思う。ちょっと褒めすぎたかな。

 「心のノート」には、愛がない。これでは、子どもたちに残酷すぎるではないか。

 さてと、気をとりなおして、ユング派攻撃の第二波にとりかからなければならない(旧版から数えると、第三波になるか)。

 矢ごろ少し遠かりければ、海の中一段ばかり打ち入れたりけり。
南無八幡大菩薩、願はくはこの風静め給へ。

 光の矢ではなく、黄金の矢をつがえる。この矢、ターゲットの心臓を射抜くだろうか。

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