2013年9月12日木曜日

別れを告げよう

別れを告げよう

 A大学における詐欺事件を振り返ってみる。何と気持ちの悪いやつらだろう。ユング派、その息のかかったやつらは。そのやり方、行動様式が常人と異なるではないか。なぜ、異なるのか。それは、やつらの行動規範は、自我(ego, Ich)に根拠を置くものではないからである。やつらが、ある行動をするとき、それは自我が決定しているのではない。無意識というやつが決定しているのである。ユング派ならば、集合的無意識というものであるかもしれない。無意識が指し示すことを、自我のフィルターをかけずに、そのまま行動の一歩を踏み出すというわけである。これは、自我がまだ発達していない幼児、また、自我が崩れている精神病者に特有の行動の仕方である。ユング派とは、精神病者になれば心の安寧が得られるぞ、というやつらなのである。すると・・・・、よく分からなくなってしまった。やつらが言う治癒とは、治癒なのか発病なのか。
 このことを一体、誰に決めてもらえばよいのだろう。このサイトを見ている君は、きっと言うに違いない。「そんなこと、決まっているではないか。精神科医に決めてもらえばよい」と。だからね、その精神科医というやつが、あてにならないのだ。前の「芸術に深く関心を寄せ そして ・・・・」を、もう一度読み返してほしい。
 それを決めるのは、このサイトを御覧いただいている皆さんだと思う。決めるのは、世界各国の国民である。だから、このサイトの閲覧者が、多ければ多いほどうれしいのである。キーワードは、「自我と無意識の関係」である。これは、CG・ユングの主要な著書の題名でもある。つまり、自我がどれほどの強さを持っているか、ということが指標になる。大人になっているかどうかである(精神分析の一派に、自我心理学というのがあって、確かハルトマンHartmanという人が提唱していたと思う。だが、こいつはS・フロイトの弟子だから駄目だ)。

 さあ、心理学や精神医学に別れを告げるときだ。ごみ箱に捨ててしまえばよい。そうして、できることならば、西洋的な科学そのものも処分してほしい。とりわけ、医学が邪悪である。西洋的な科学は、傲慢さの現れである。西洋的な科学は、「もの」を操作しようとするものであるが、その対象が人間に向かったとき、恐ろしいものとなった。特に、第二次大戦中の日本の731部隊による残虐行為は、その後の医学を変質させてしまったのである。この責任は、日本とアメリカにある(もしかしたら、ドイツにも、同様の責任があるかもしれない)。

2013年9月11日水曜日

冒瀆

冒瀆

 僕は昔、カウンセラーになりたいと思った。それでA大学大学院に入学したことは、前に書いたとおりである。そうすると、旧版の「芸術に深く関心を寄せ そして・・・・」で書いたことが、僕自身に跳ね返ってくるわけである。つまり、カウンセラーや精神科医のように、人の心を癒してあげようと考えること自体、何ものかに対する冒瀆(ぼうとく。フォントがない場合がある)である。冒瀆的行為をなす者の精神は、崩れ去るであろう(S・フロイトの例)(なお、この考え方は、昔話から導き出したものである。冒瀆的行為をなす者は、醜い動物に変身させられる)。以上のようなことが、僕にも当て嵌まるかもしれない、ということなのである。実際に、僕がカウンセラーになりたいと考えていた頃は、何と言ったらよいのだろう、自分の精神が色褪せて、干からびて見えていたものだった。
 ところが、幸いにも、僕はカウンセラーにはならなかった。いや、カウンセラーになれなかった。それならば、邪魔をしてくれたユング派に感謝すればよいではないか、と思われるかもしれない。だけど、そういうわけにはいかない。やはりユング心理学は、数ある臨床心理学の理論の中でも、際立って危険な考え方である。


芸術に深く関心を寄せ そして・・・・ (旧版から一部抜粋)

(旧版の「ユング心理学批判」を読んでいた人の中で、次に僕が何を言おうとしているのか、ある程度見当がついていた人もいるかもしれない。そうだ。その通りだ。S・フロイトの失神に関わることである。人の心を癒してやろうと考え、その考えを実行に移すとき、その人の精神は崩れ去って行く。これは、昔話から導き出したものである。フロイトの失神をこのように捉えたのは、僕が初めてではないかと思う。そして、フロイトの後継者たちも同じ病を引き受けなければならなかったのである。それが、失神として発現するか否かは別としても。フロイトの後継者たちとは、あらゆるカウンセラー・精神科医のことである。)

芸術に深く関心を寄せ
そして
芸術を食い殺す

 実に不思議なことであるが、ユング派になると俄かに芸術に興味・関心を持ち出すようなのである。それまでは芸術とは無縁であった者までも、芸術が分かったような顔をする。ユング心理学が、芸術創造の源泉を突き止めたのだと不遜にも考えていることと関連があるのだろう。河合隼雄がフルートの演奏会を開いていたことを覚えておられるだろうか。河合がいつからフルートを吹くようになったのかは知らない。ユンギアンになる前からかもしれないし、ユンギアンになってからかもしれない。いずれにせよ、演奏会を開くようになったのはユンギアンになってからのことだろう。ここが不可解である。心理学関連の図書の著者として有名になり、ちやほやされるようになった。そのとたんに、おれはフルートも吹けるのだぞ、どうだ、なかなか芸術的だろう、とばかりに演奏会を催す。これも河合の異常心理・異常行動のひとつだろう。河合はフルートなんか吹いていないで、法螺だけを吹いていればよかったのだ。それでは、河合の演奏は、一体どのような演奏だったのだろうか。
  もしも河合のフルート演奏がある程度のレベルに達していたのなら(なにも超一流のすばらしい演奏である必要はない。ほどほどのレベルであればよい)、音楽界や音楽業界は放っておくことはできないだろう。文化庁長官が、しかもユング派心理学のわが国への紹介者であり第一人者が、すばらしいフルート演奏をしているのである。とても無視できないではないか。「ぜひとも、わが町の文化会館で公演していただきたい。町の青少年にも聞かせてやりたい」という依頼が殺到するであろう。何といっても文化庁長官なのである。やがてはCDアルバムの制作の話も持ち上がるだろう。そして、外国からも公演の依頼が届くようになるであろう。
  ところが、どうしたわけか、そんなことにはならなかったのである。これは河合のフルートの演奏がいかにひどい演奏であったか、ということである。学芸会並みの演奏であったのである。これは演奏のテクニックの話ではない。あくまでも音楽性・芸術性についての話である。のこのこと、河合の演奏会に出かけて行った連中は、「こんなことなら、子どもの学校の文化祭でも見に行っていたほうがよかった」と後悔していただろう。音楽の演奏も芸術創造のうちだと考えれば、河合がいかに芸術やその創造に無縁な者であるかが了解されるであろう。おかしいではないか。ユング派は芸術の創造の源泉を突き止めたのだと考えているのではなかったか。その上、ユンギアンになると、どうした訳か芸術に対して並々ならぬ興味を抱くようになるではないか。そうすると、ユンギアンの中からすばらしい芸術家が続々と現われてくるはずではないか。それなのに、ユンギアンである河合のフルート演奏が学芸会レベルのものであるのなら、ユング派の考え方は出鱈目であることになるではないか。ユング派は、どうしたわけか芸術に深い関心を寄せてはいるが、やつらは芸術の門外漢なのである。河合の弟子の氏原も、ひどい下手糞な文章を書いておりながら、心理学関連の著書の中で「作家になりたい」と書いている(氏原寛『カウンセリングの枠組み』)。ユング派の芸術に関する理解が、いかにいかがわしいものであり偽物であるか、ということである。
 

カウンセラーとか心理療法家と呼ばれる職業の人々には、注意しなければならない。避けなければならない。できるだけ関わりを持たないようにしなければならない。S・フロイトには、何人かの精神分析仲間と懇談中に、突然わけもなく失神するという症状があった。これによってフロイトは、深く悩んだにちがいない。この失神という奇妙な症状による苦悩が、フロイトが精神分析を創始し発展させる原動力になっていたことは疑いない。フロイト自身は弟子への手紙の中で、何か同性愛的なものが原因ではないかと思っている、と書いている。やはり精神分析の一派のハインツ・コフートの学派では、理想化転移によるものと捉えているようである。この失神が、フロイトが精神分析を始める前からあったものなのか、それとも精神分析の創始以後に生じてきたものかは知らない。しかし、精神分析を始めてから、却ってひどくなった可能性があるのではないだろうか。それはフロイトのように、人の心をケアしてやろう、人の心の病を癒してやろうと考え、その考えを実行に移したとき、癒してやろうと考えた人自身の精神が荒廃し崩れ去るのである。また、CG・ユングが精神病であったことは、ユンギアンでさえ言っていることである。たとえ傍目には普通の生活を送っているかのように見えたとしても、心は荒れ果てている。それは、人の心を癒してやろうとすること自体が、何ものかに対する冒瀆だからである。日常において、親しい者同士で慰め合うのとはわけが違う。僕の知り合いのAさんの父親は、精神科医である。精神病院の勤務医であるようである。そのAさんの父親は、日頃Aさんに、「お前が阿呆になったら、いくらでも世話してやるぞ」と言っているそうである。この場合の「阿呆になる」とは、精神病者になるということであろう。Aさんの父親は自分の仕事を、あたかも刑務所の看守のように考えているようである。Aさんの父親の人生に、いったい何の意味があるだろう。そんな人生なんか、生きるに値しないではないか。ところが、それからAさんは、本当に発病してしまった。Aさんの父親の言葉が、まるで予言ででもあったかのように。どうも不思議である。そして恐ろしい。これは何かの間違いではないだろうか。運命の女神が、親と子とを取り違えたのではないだろうか。精神科医などというものの多くは、だいたいこのようなものである。冒瀆する者の精神は、干からびている。壊れてしまっている。旧日本軍の731部隊の恐ろしい研究者たち(実に冒瀆的である)は戦後、大学や研究機関に戻って、中にはどんどん出世した者も多い。大学の学長になった者もいる。実に不思議なことである。やつらは、自分の犯した罪の償いをしていない。罪の償い、そのツケを払っていないにもかかわらず、社会的には羽振りがよくなる?おかしいではないか。もしかしたら、Aさんやその父親の場合のように、子や孫などの親族が代わりにツケを払っているのだろうか。河合隼雄も同様に、ウソツキ退職で不当に得た利得を元手に、いわば「ベストセラー作家」の地位を得、京大教授になり、中教審など各種審議会の委員・座長になり、文化庁長官になった。ウソツキ退職について、その罪の償いをしていないにもかかわらず、どんどん出世していった。これもおかしい。文化庁長官在職中に、引っくり返ってバタン・キューでツケを払ったということだろうか。それとも河合隼雄の場合は、トシオが隼雄のツケを支払うことになるのだろうか。興味のあることである。これからはトシオの動向を注視していたほうがよさそうである。フロイトやユングをはじめ、心理療法家・カウンセラー・精神科医・神経科医などと呼ばれている人々は、自分自身の精神的な異常さを何とかしたい、と考えてその職業に就く。その上、それで生活費を稼ぐことができれば一石二鳥ではないか、というわけである。何か大きな災害が発生したとき、被災者の心のケアが必要だとマスコミを通じて主張する者がいる。学校現場でもカウンセラーを配置するべきだと言う者がいる。しかし、被災者やいじめられっ子などにとっては、それは泣きっ面に蜂である。ただでさえ苦しんでいるのに、さらにその上、蹴飛ばされるに等しいのである。カウンセラーの精神自体が崩れ去っているからである。人の心をケアしてやろうなどと不遜なこと、冒瀆的なことを考え実行するからである。心理療法家は、これからクライエントを癒してやろうと考えるとき、自分の心が崩れ、奈落の底に堕ちていこうとしているのに気がつくはずだ。それに気がつかないとすれば、よほど鈍感である。よくも心理療法家なんかになろうとしたものだ。したがって、心理療法家・カウンセラー・精神科医・神経科医という職業自体成り立つことができない。社会的には、そのような職業を認めてはいるけれども、本来認知してはいけなかったのである。例えば、犯罪者を考えてみれば分かりやすい。犯罪者は何らかの犯罪を行ったという事実だけによって精神が崩壊する。検挙されたかどうかは関係ない。外面的には何食わぬ顔をして、普通の生活をしているかどうかも関係ない。さらに、人をマインドコントロールしている者も同様である。人の心を操作することは、極めて冒瀆的な行為である。そのような冒瀆的なことを行うこと自体によって、精神が荒廃する。「精神が荒廃する」とは、情動面のみならず、理性的な側面においても、である。英語のハートやエモーションのみではなく、マインドやリーズンにおいてもそうである。そのような者達によって得られた科学的な知見が、人類の福祉にとって何の役にも立たないことは明らかである。冒瀆的なことを行って、必然的に精神が荒廃してしまう、心理療法家・カウンセラー・精神科医・神経科医などという職業を認めてはならなかったのである。精神が荒廃し、崩壊することは、喜怒哀楽の真の感情から遠ざけられることである。たとえば、喜びを感じる場面において、一応喜びらしきものを感じているかのようではあっても、本当の喜びを感じることができない。悲しみも本物の悲しみを感じることができない。幸福も、やはり真の幸福を感じることができない。つまり、人間の感情をもつことができない。理性的な側面においては、理性による正しい判断ができない。これでは生きている意味がない。死んだも同然ではないか。

2013年9月10日火曜日

心のノート

 「心のノート」(Note of Mind)は、日本中の子ども達全員に配布されるものである。「心のノート」の背景には心理学があり、それがユング心理学であることは明らかである。つまり、やつらは日本の子ども全員をカウンセリングしてやろう、としているのである。または、精神分析してやろう、と考えているわけである(正統派精神分析・フロイト派に対して、ユング派は、邪道派精神分析である。ところが、フロイト派自体も、これまた邪道なのである。そうすると、邪道の邪道が、正統になるかというと、必ずしもそうはならないところが難しいところである)。この場合、この大規模なカウンセリングの手足となっているのは、小中学校の教員達である。その過程においては、カウンセリングされているのは、子ども達だけではない。小中学校の教員達もカウンセリングされているとも言えよう。ユング派心理学の悪魔的性格の、ひとつの現れであると言わねばならない。

 子どもをカウンセリングしてやろうとすることが、何故いけないのか。それが、子どもの心の成長を阻害するからである。学校の教師が、生徒をカウンセリングしてやろうとする。いわゆるカウンセリング教師である。これほど無謀で不届きな企てはない。そんなことが成功した事例は、皆無だろう。そして、これがいけないことの最も重大で深刻な理由については、後に述べる。

2013年9月9日月曜日

昔話

子どもの頃、昔話を語ってくれたのは、父だった。仕事に疲れた眠い目をこすりながら、話していたのだろう。猿蟹合戦、因幡の白兎など。「うん、うん」と相槌を打ちながら、いつの間にか深い眠りに落ちていた。もしも子どもがいたら、やはり昔の父のように、子ども達に語り聞かせてあげたい。もう、それも叶わぬことになってしまったが。
手なし娘という話が好きである。数々の苦難の末に、手なし娘は、赤ん坊を背負って野山をさまよう。喉が渇いて、谷川の水を飲もうとして、背中の赤ん坊がずり落ちて川に落ちそうになる。「あっ」と思って、ない手を伸ばして赤ん坊を抱きとめようとした瞬間に、ないはずの手が生えてきて、しっかりと赤ん坊を抱きとめていた。たれこめた真っ黒な分厚い雲の隙間から、天使の歌声が聞こえてきそうな場面である。その歌は、やはりバッハの管弦楽組曲のアリアがふさわしい。

僕がユングを批判することの原点は、昔話にある。ユング派こそ、昔話からその思想を引き出してきているではないか、と思われるかもしれない。しかし、だからこそ昔話を拠り所にするのである。昔話をユングの手から取り戻さなければならないのである。

音楽の世界では、昔話に匹敵するのは各国の民謡だろう。ロシア民謡、アイルランド民謡、ナポリ民謡、そしてポーランド民謡。ポーランド民謡では、「春が呼んでるよ」が好きだ。一見、軽やかで明るい曲に見えるが、背景に深い悲しみをたたえている。この悲しみは、団伊玖磨の「花の街」の背景にあるものと共通するものだろう。それでいて、端正な美しさをたたえているのは、両者に共通するところである。

日本の民謡では、好きなものはないのかというと、そうではない。「姉こもさ」は、秋田県の民謡である。これは、女性しか歌えない。しかも難曲である。古い日本の心の風景を感じさせる。「こきりこ」は、富山県の民謡である。平家の落人が、自らの失意・挫折感を慰撫するために、自然発生的に生まれたものであろう。

2013年9月6日金曜日

航空券

(このサイトのブログアーカイブでタイトルが並んでいますが、下から読んでいただいたほうがよろしいかと思います。)

 某国で予期しない多額の出費を余儀なくされた。そのために、航空券さえ買えない。中国へ行けないのである。

2013年9月5日木曜日

悪魔君はセルフサービスがお好き?(旧版から)

 毎年、夏休みともなると、河合隼雄は研修旅行と称してスイスのチューリッヒかアメリカのどこかに渡航して、外国人のカウンセリングを受けていたであろう。これは、河合の弟子や又弟子についても同じである。カウンセリングといっても、ロジャーズ派のような、生やさしい、かわいらしいものではない。「そんな風にしては駄目だ。このようにしなさい」、「A社に就職してはいけない。B社に就職しなさい」、「結婚するなら、C子さんではなく、D子さんにしなさい」、「え?何だって?B社に就職したくないだと?D子さんと結婚するのはいやだと?ほう。すると、何かね?君は、このわしに反抗するのか」と、このようにすさまじいカウンセリングを“外国人から”受けていた者に、日本の子ども全員に配付される道徳の副教材「心のノート」を作成させていたのである。
 ユング心理学は悪魔の心理学である(これについては、「あるがままに任せよ」参照。悪魔の心理学とは、悪魔の、悪魔による、悪魔のための心理学ということである)。詐欺犯罪を少なくとも二度行った河合は(ウソツキ退職)、悪魔に頼るしか仕方がなかったのだろうか。悪魔は悪を否定しない。ユング派も悪を否定しない。しかし、どんなに精神的な危機に瀕しようとも、悪魔に頼ってはもうおしまいである。河合やその弟子のようなやつらを、社会に置いておくわけにはいかないではないか。やつらが人間の社会でうろうろしていると、恐くてしようがない。やつらは、山奥かどこかの無人島にでも行って、ひとりで暮らしておればよいであろう。マンダラでも出現しているのなら、絶海の孤島でひとり悦に入っておればそれでよいわけだ。
 ところが、河合を見れば分かるように、ユング派は社会のあらゆる出来事に手を出すし口も出す。しかも、すさまじいばかりの出世欲で権力の座につきたがる。悪魔がこうなのである。超越的な世界と関わりを持つ者が、悪を否定しないことほど恐ろしいものはない。ヤクザやマフィアよりもはるかに恐ろしい。人間社会にいてくれては困るのである。悪魔=ユング派を叩き潰すために立ち上がらなくてはならない。だいたいユング派のひとりやふたり、叩き殺しても殺人罪にはならないと思う。殺人とは、人間の生命を奪うことだからである。
 悪魔との戦いにおいて、ミルトンの失楽園でも、バニヤンの天路歴程でも、その戦いがクライマックスに達したとき、どうしたわけか突然、悪魔の手は萎え、足が萎えてしまうのである。そして、悪魔は自ら滅び去っていく。不思議なことに、失楽園でも天路歴程でも同じなのである。どちらもキリスト教の文化圏の作品だからだろうか(両方ともイギリスである)。確かに、このような(ユング派のような)悪魔は古来、日本・東洋にはいない。鬼や山姥とは異なる。実にキリスト教的な(キリスト教文化圏の)悪魔ではないか。われわれは、悪魔というものがこの世にいることを知ってはいるが、それが具体的にどのようなものかはイメージを思い描くことは難しかった。しかし、今は明確にイメージすることができる。悪魔とはどんなものか知りたければ、ユングを思い出せばよい。河合隼雄を思い起こせばよい。村上春樹を考えればよいのだ。悪魔とは、やはり、いかにもそれらしい顔をしてはいなかった。一目で悪魔とわかるような様子はしていなかったのである。
 悪魔が自分自身の首を締め、自ら滅んでいくとはどういうことであろうか。ユング派を滅ぼす人(英雄)は、ユング派の中から現れてくるということである。残念ながら、僕はナポレオンになる資格がなかったようである。それならば、悪魔との戦いが行われる戦場とは、どこであろうか。それは、ユンギアンの夢の中である。長い歴史において、悪魔は時々ちょろちょろと現れ出ては、自らの手で自らを滅ぼしてきていたのである。もしも現代の悪魔が自滅することがないとすれば?その時は、人類が滅亡する時である。

2012728日)

2013年9月4日水曜日

再び 旧版「ユング心理学批判」の要約

 トップページ(ブログアーカイブで並んでいるタイトルの一番下「復活しました」)で書いた要約の続きをする。

 超越的世界から賜物(贈り物gift。具体的には、心の平安inner peace)を、もらい受けたならば、その賜物を現世において使ってはならぬ、というのが鉄則である。つまり、賜物を使用して、栄達を望むこと、社会的活動に乗り出すこと、金銭欲・名誉欲を満足させること等、このようなことを行ってはならないということである。社会的地位・活動から退くべきなのである。ユンギアン(Jungian)、とりわけ河合隼雄を見てみるがいい。出世欲・権勢欲・名誉欲・金銭欲の虜になっているではないか。そうなると、どうなるのか。いとも恐ろしい危険な人間が誕生することになる。これこそが悪魔だったのだ。この世に悪魔というものが存在していることは、知識としては知ってはいたが、それがどんな姿かたちをしているのか、われわれは知らなかった。今、その悪魔が人類の前に、その姿を現したのである。やはり悪魔は、一目でそれと分かるような顔をしてはいなかった。



 検索エンジンに、このサイトを登録しようとしても、どうしてもできない。ネットアイランド・サーチ女史だけは、かろうじてできたようだが。googlegooなどが、何回、行ってもできないのである。いつもビジー状態である。日本時間の真夜中か明け方に行っているにもかかわらず。どうしたらよいだろう。

自らの手で葬り去る

 胸の底で、音楽が高鳴っていた。子供の頃、ひとりで田舎の畦道を歩いているときのことである。ロシア民謡のともしび、アイルランド民謡のグリーンスリーブス、フォーレのシチリアーノ、べサメ(あの有名なべサメ・ムーチョとは全く異なる曲である。ジャンルとしては、ボサノバに属するのではないか。レイラ・ピニョイロが歌っていた。愛が芽生える瞬間を見事にとらえた歌だと思う)、時計(ラテンの曲)などである。あの時、全世界を手に入れたような心の高ぶりを感じていた。「后の位も何にかはせむ」と、古代の文学少女が言い放ったのと相通じるものがあるだろう。
 胸の底で高鳴る曲は、大人になって,何十曲か新しく付け加えられた。町を歩いているとき、林の傍を通り過ぎるとき、ぼんやりと海を見ているときのことである。そうして、そのうちに、自分で作った曲も加わってきた。もしかしたら、作曲家になれるかもしれない、と思った。ともかく、胸の内で音楽が響き渡るということは、心を和ませる。
 ところが、僕はこの素質を、僕に一流の芸術家になりうる資格があるとすれば、自らの手で闇に葬り去ろうとした。A大学大学院における詐欺事件を思い起こす。どうやら、この邪教・悪魔崇拝のやつらに興味・関心を抱かれているらしい。もう、これでおしまいだと思った。この悪魔崇拝の輩は、芸術に深く関心を寄せながら、それとともに芸術の息の根を止めようとするやつらなのである。真の芸術は息絶えて、偽物ばかりが蔓延ることとなる。

 音楽のほかに、もうひとつある。高校生の頃から、文章がうまいと褒められてきていたのである。自分ではあまり自覚はなかったのであるが、やはりそうかもしれないと感じるときがある。若い頃には、作家になりたいと考えたこともあった。しかし、これも自らの手で息の根を止めてしまおう。

2013年9月2日月曜日

楚の項羽は四面楚歌の囲みを突破できるか

(このサイトのブログアーカイブでタイトルが並んでいますが、下から読んでいただいたほうがよろしいかと思います。)

愚や愚や、汝を如何せむ(漢字を間違えたのではない!)。
今、僕の胸の内で、石田三成と楚の項羽とがオーバーラップしている。歴史をひっくり返してやるぞ、という気概をもって、ことに当たっている。

中国が、ことの一部始終を見てくれている、ということに勇気づけられた。たとえ、この戦いに敗れて命を落とすとしても。中国の方々も、このサイトを御覧いただいているものと確信する。

砕け散る貝の火(旧版から)

砕け散る貝の火

 宮沢賢治に『貝の火』という作品があります。まだ若かった頃、私はこの童話を読んで強烈な印象を受けました。
  兎の子のホモイは、ある日、溺れかけているひばりの子を助けました。その功績によって、鳥の王からホモイに「貝の火」という宝珠が贈られます。ホモイは有頂天になります。貝の火が、あまりにも美しく、自分が偉い人物(兎ですけれども)になったことを表わすものだったからです。みんながホモイに敬意を表します。そのうちに、ホモイの心の中に傲慢な気持ちが現われてくるようになりました。弱い者を虐待したり、悪賢い狐の誘いに乗って、結果的に狐の悪巧みに荷担したりするようになります。持ち主の心を映し出す鏡のような働きも兼ね備えている貝の火は、それでも暫くのうちは、美しく燃えています。最後の決定的な破局を迎える直前には、特に美しく輝いていました。狐の悪事が次第にエスカレートしていって、その残虐極まりない行いに対して、ホモイがそれを制止することができず、却って狐に威されて逃げ出してきた時、貝の火は砕けて飛び去ってしまいました。そして、その粉がホモイの目の中に入って、物が見えなくなってしまいました。
  以上がこの童話のあらすじです。最後のところで、ホモイの貝の火が砕け散ったことを見ていたふくろうが、「たった六日だったな。ホッホ。たった六日だったな。ホッホ。」とあざ笑って言う様子が私の心に鮮明に焼きついています。
  これは恐ろしい話です。宗教的な体験の恐ろしさが良く表われていると思います。神に出会う経験(キリスト教の牧師が、「私は、○○歳の時に、イエス様にお会いしました」と言うときの、その経験。仏教で言えば、悟りや涅槃。)は、それに至るまでの道のりが遥かで厳しいものなのですけれども、そこに至り着いてから(神に出会ってから)の後にこそ、さらに自分自身を厳しく律し続けていかなければならない、ということを暗示しているのではないでしょうか。超越的な経験をしたのだから、それですべてが楽になる、というものでもないようです。むしろ、それからが大変なのかもしれません。私は、前回のPARTⅢで、超越的な体験について薄手の陶磁器の例えを引き合いに出しましたが、それにはこの貝の火のイメージの影響があったのかもしれません。ひとたび神を垣間見たとしても、それからもずっと傲慢さや俗物根性に細心の注意を払っていなければならないのです。超越的体験をした者が、もしも傲慢さや俗物根性の虜になってしまったら、貝の火は砕け散って、どこかに飛び去ってしまうのです。
  ここで、とても気がかりなことが一つあります。神を垣間見るような宗教的体験をした者が、傲慢さや俗物根性にとらわれても、それで直ちに貝の火が砕け散るのではないということです。時々、傲慢不遜な心のありようによって、一点、曇りが生じたりすることもありますが、また逆に、却って美しく輝いているように見えることさえもあるのです。これは実に不思議なことなのですが、現実がどうもそういうことらしいのです。貝の火の持ち主の心の変化(原因、つまり傲慢さや俗物根性へのとらわれ)と、貝の火の様子・状態の変化(結果、つまり貝の火が砕け散ってしまうこと)との間には時間的な開きがあるようなのです。賢治の童話の世界では、その時間差はわずか数日のことなのですが、実際には、「年」という単位なのかもしれません。もしもその単位が「数十年」という長いスパンだとしたら、これは恐ろしいことになります。その間に、どんなことになるのでしょうか。超越的な経験をしておりながら、傲慢さや俗物根性にとらわれて、折角の超越的経験の本質が既に変質してしまっている者が、悪事をなす時間を与えてしまうことになるのではないでしょうか。その悪事は、「わしは世の愚民どもの救済者である」という御旗を掲げてなされるのです。学校を舞台にして凄惨な事件が起きた時、心の痛手を被った子供たちに関して、日本のユング思想の第一人者が、「誰でもが治る可能性を持っている」と、ユンギアンとしては訳の分からぬ発言をしたのは(個性化などというものは誰にもできるわけがない)、このことと関係があるのではないでしょうか。ユンギアン達はこの思想がなければ自分はこの世でやっていけないと考えているがゆえに、他の人々はどうしてこのような結構な思想の信者にならないのだろうといぶかしく思っています。これは、まさにカルト的な新興宗教教団の信者の心性と同じものです。ですから、その時間差の間に何をしでかすか分からないのです。
  さらに、この時間(原因とその結果が生じるまでの時間の開き)において、偽物の超越的経験をした者がその子分を増やし、その子分たちがまた新たに子分をどんどん増やし続けているとすれば、これは一体どういうことになるのでしょうか。何か取り返しのつかないことが、臨床心理学界において生じているのではないかという気がしてなりません。
2006223日)


満ち足りた気分で仏像を彫ってはいけない(旧版から)

満ち足りた気分で仏像を彫ってはいけない

 ユンギアンになると、どうした訳か俄然芸術に興味を持ち出す。そう言えば俺は、若い頃、芥川龍之介や夏目漱石に読み耽っていたことがあったなあ、終日、モーツァルトやバッハに夢中になっていたものだ、と思い出すのである。それで考える。俺は芸術の真の理解者なのではないかと。しかし、そんな経験は誰にでもあることなのだ。こうしてユンギアンが世に蔓延るとともに、偽の芸術愛好家が増えることになる。
  河合隼雄の弟子である氏原は、作家になりたいと自分の著書で書いている(氏原寛著『カウンセリングの枠組み』ミネルヴァ書房刊)。中学生の作文に毛の生えたような文章を書いておきながら、作家になりたいそうである。これは仲間うちや身内の間で話していたのではない。カウンセリングに関する書物の中で、公言していたのである。執筆当時から、既に10年以上は経過しているであろうが、いまだに芥川賞を受賞したとか、新作の小説を発表したとかというような話は聞いたことがない。要するに、気違いのたわ言であった。もっとも、何の文学的素養もない、芸術的な薫りもない文章を書いているのだから、作品を発表するなど不可能であろう。出版社の心理学担当の性悪な編集者にでもおだてられたのだろうか。「いやあ、蛆虫先生の文章はすばらしいですなあ。名文ですなあ」と。豚もおだてりゃあ、木に登る。蛆虫もおだてりゃあ、空に舞い上がる。(これに反して、河合隼雄の文章はうまいかもしれない。だが、文学的には何の価値もない。)超越的な世界からの賜物をこの世界で利用してやろうなどと考えるから、このような情けないことになるのだ。
  ヘルマン・ヘッセは、CG・ユングと出会ってから、ろくな小説を書けなくなった。ユングがヘッセの文学に多大な関心を寄せてしまったからだろう。創造の泉は生き物である。泉はどのようにして湧き出でているのか、を突き止めようとして掘り始めるとき、泉は涸れる。ヘッセは精神的な“充足感”と不安からの解放と引き換えに、創作力を手放した。
  村上春樹は、大変な人気を博しているが、真の文学者ではない。河合のファンでありながら、真の芸術家でもあることはありえない。生前に絶大な人気があっても、死後に完全に忘れ去られてしまう偽の芸術家は、いくらでもいる。芸術家が、創造の扉を開く万能の鍵を手に入れたのだと有頂天になったとき、すべての扉は永遠に閉ざされる。芸術家の創作能力は息絶える。芸術家がユンギアンならば、その鍵は無意識(集合的無意識)や夢にあるとみなすだろう。その推察が正しいか否かは、どうでもよい。仮に正しいとしても、このことは当て嵌まる。その万能の鍵は、ただの鉄くずになってしまって、もはや用をたさない。創造の扉は、もはや開けることができなくなる。創造の源泉を特定することに成功したのだと確信すれば、その源泉は涸渇するのだというジレンマがあるのである。CG・ユングなどというキチガイじみたクソ爺が出てきたからいけないのだ。やつの考え方が芸術家の間ででももてはやされるものだから、現代の芸術は不毛になってしまった。現代は、芸術の暗黒時代である。
  仏師が芸術家たらんとすれば、満ち足りた気分で仏像を彫ってはいけない。芸術を生み出すのは、調和でも充足でもない。それとは対極的な何かである。たとえ調和や充足を表わしている芸術作品であるとしても、その創作のエネルギーは、調和や充足ではない(この場合、仏像の宗教性については度外視する。)仏師が一流の芸術家ならば、これから彫る仏は、一体どこからやってくるのだろう、ちゃんと俺の目の前にその姿を現わしてくれるのだろうか、と訝り、一抹の不安にとらわれながら彫り始める。偽者の芸術家は、創造の扉を開ける鍵を手中にしているからと意気込んで創作に取りかかる。しかし、その偽者の仏師が彫った仏像は、心の眼をもって見れば仏の顔をしてはいないだろう。芸術の創造において、万能の鍵を手に入れようなどと安易なことを考えてはいけない。創造の泉を意識すれば、芸術は生み出せないのである。
  注意しなければならないのは、偽の芸術愛好家たち(ユング派)は、芸術を駄目にし、最悪の場合、芸術の息の根をとめてしまうおそれがある、ということである。つまり、この偽の芸術愛好家たちは、この芸術作品は無意識(集合的無意識)とどのような関わりがあるだろうかとか、元型のどんな作用が作品に働いているのだろうかとかというような視点でもって芸術作品を鑑賞するだろう。このような視点を持つことそれ自体が、鑑賞者をして芸術から遠ざけることになるのである。これは何も芸術だけに限ったことではない。人生全般において、そうなのである。ユング派固有の基本的態度や考え方を身につけてしまったならば、愛や喜び、悲しみや苦しみなどから人を遠ざける。ユング派独特の基本的態度や考え方をもって人生を見るならば、人生そのものが借り物になってしまう。それは、人と人生の様々な事象との間に、薄い被膜、どんなに破ろうと努めても決して破れない隔壁のような膜ができたようなものである。
2011110日)


悪魔との戦い(旧版から)

悪魔との戦い

 ホームページの下の箇所で書いた、ご意見を寄せていただきたいということに関しては、このようなタイプの悪魔どもと戦うにはどうしたらよいか、についてもご意見をお聞かせ願いたい。悪魔といっているのは、超越的世界からの賜物を現世で利用しようとしているからである。これこそが堕天使なのである。堕ちた天使とは悪魔のことである。(参考文献、悪魔と戦う:ミルトン『失楽園』、バニヤン『天路歴程』および各国の民話)(なお、『天路歴程』の中に、僕が主張しているのとほぼ同内容の記述があるのに気づいた。「パンの塊のためにキリストに従ふことが正しくないとすれば(ヨハネ伝の第6章にあるやうに)、まして況やキリストと宗教を一種の忍び駒[註。狩人がその陰にかくれて獲物に近づくための馬、木で造つたものもあり、本物を用ゐることもある。]に使つて、俗世間を手に入れたり、楽しんだりしようといふのはどれだけ嫌はしいものであるか分りません。又、私どもは異教徒か、偽善者か、悪魔か、魔法使のほかにさういふ意見をもつてゐる者を発見しないのす。」(竹友藻風訳 第一部 221頁)(ちなみに、僕はキリスト教徒ではない。)

 ところで僕は、村上春樹は読まない。宮崎駿のアニメも観ない。どちらもユング・河合の大ファンであるらしい。芸術とは人間が作り上げたものである。コンピュータ仕掛けのロボットみたいなものが制作したものは、何の意味もない。たとえ外国においてさえ、もてはやされていようが。だから、ヘルマン・ヘッセへのノーベル文学賞の授与は間違いであった。ヘッセがユングと出会う前の作品が、ノーベル賞の対象であるならば、話は別かもしれないけれども。(アニメを芸術に含めるのは若干無理があるかもしれないが、今は仮にそうしておく。)     
 (2010717

 

河合隼雄、「心のノート」で模範授業を行う(想定場面)(旧版から)

河合隼雄、「心のノート」で模範授業を行う(想定場面)

(河合は「心のノート」作成後、実際に模擬授業を行い、自らを「心の先生」と呼ばせていたという。)

担任――それではみなさん。今日は、偉い偉い心の先生に模範授業をしていただきます。みんなしっかりと「心のノート」でお勉強しましょう。それでは河合先生、よろしくお願いします。
河合――エッヘン。わしが今ご照会にあずかった河合隼雄じゃ。もと京都大学教授で今はな、エッヘン文化庁長官じゃ。家にはわしが書いた本があるじゃろ。テレビでも、わしの顔ぐらいは見たことがあるじゃろう。つまり、わしゃあ有名人じゃな。政府の審議会などでも委員になっておるし、座長はんも務めた。
児童A――心の先生。
河合――うむ?何じゃ。
児童A――「シンギカイ」て、なんですか。
河合――審議会か。審議会というのは、つまり政治家という者はだな、総理大臣もそうじゃが、みんな頭の中が空っぽのやつばかりなのじゃ。それでじゃ。何か重大なことが起きて解決が迫られても、やつらはな、どうすればよいのかさっぱり分からんのじゃな。だから、ただうろうろ、おろおろするばかりじゃ。それでじゃ、天下の賢人達を呼び集めてじゃな、「賢人の皆様方、わしあどうすればよいのか見当もつきません。どうか賢人の皆様、わしにどうすればよいか、教えて頂戴」と、頭を下げるんじゃ。それが、審議会というもんじゃ。
児童B――心の先生。「ケンジン」って、なんですか。
河合――おお。中々、いい質問じゃのう。賢人というのはな。そうじゃなあ。みんな、わしの顔をじっと見てみなさい。みんなが今見つめている顔。この顔が賢人様のお顔じゃ。ようく、覚えておきなさい。
児童全員――ハーイ。
河合――それでは、「心のノート」の47ページを開きなさい。この「心のノート」はだな、何を隠そうこのわしが作ったものじゃ。どうじゃ、立派な道徳の教科書じゃろう。何しろ賢人様であるわしが作成したのだからな。それでは、みんな、嘘をついてはいかんぞ。嘘をついたらな、閻魔様に舌を引っこ抜かれるぞ。みんなの中で、最近嘘をついた人はいるかな?
児童多数――ハイ。ハイ。
河合――何じゃ、仰山手が上がっておるわい。なかなか活発な・・・・待てよ。これはちょっとまずいな。担任が悪いのではないのかな。ようし、このことは、文相の遠山のウバ桜に報告しておこう。
担任――アッ。お代官様。いや、長官様。どうかそれだけはご勘弁を。
河合――それでは、C子さん。どんな嘘をついたのじゃ?
児童C――わたしは、きのうおかあさんからスーパーで買いものするようにたのまれました。それで、おかあさんにかえすおつりをごまかして、かえりにアイスクリームを買って食べました。
河合――何じゃと。何という情けないことをするのじゃ。ああ、嘆かわしい。これでは将来が思いやられるわい。だいたいな、人を騙してじゃな、自分が利益を得ようとするその根性が卑しい、腐っておるわい。そんなことをしているとな、魂が汚れるぞ。
児童D――心の先生。
河合――何じゃ。
児童D――天理高校をうそつきたいしょくするのは、どうなんですか?
河合――ああー。つらいのう。それを言うな、横山。
児童D――あのう。ぼく、そんな名前では。心の先生。どうして、ハンカチをくわえているんですか。
河合――し、舌が。ううッ。バッタン。
児童全員――たいへんだ、たいへんだ。心の先生がひっくりかえったぞ。あっ。口から血が出ている。

(ユング心理学において完全に欠落している観念がひとつあります。罪の意識とか罪責とかと言われるものです。人が悪事をなせば、いずこからともなく立ち現われてきて、人に償いをせよと迫る恐ろしい神の観念が脱落してしまっています。この恐ろしい神のイメージは、ユング心理学の用語である“集合的”という言葉に照らせば、あきらかに集合的なものであるはずです。それなのに、ユング心理学はこの観念を完全にオミットしているのです。精神分析的には、無視し置き去りにしたものにこそ由々しき意味があると考えられるはずです。河合とて例外ではありませんでした。「ウソツキクラブの会長」などという情けないことを公言していたとき、河合の心の底に地下水のように貯留していたものが、一部噴出していたのでしょう。ユング心理学において、個性化を果たし、セルフの出現をみることと、この恐ろしい神との関係は一体どうなっているのでしょうか。セルフの出現による心の安寧とは、果たして本物なのでしょうか。
  もしもこの恐ろしい神が消滅してしまえば、そして悪事をなしても罪の意識にさいなまれることがなくなれば、どんなに幸せになれるだろうと人ははかない夢を見るかもしれません。けれども、そのようになってしまった社会(悪事をなしても罪の意識を感じない者が充満している社会)は、もう人間が住めるような社会ではないということは言うまでもありません。人類が生存していくためには、怖くていやだけれどもこの神がどうしても必要なのです。たとえそれが、CG・ユングの言うような「人間性を拡大」するのとは対極的な、人間性を縮こまらせるものであったとしても。それを完全に無視しているいわゆる「心理学」なるものが、本物ではないことはあまりにも明白なのではないでしょうか。)
2007101日)

2013年9月1日日曜日

河合隼雄の犯罪

「河合隼雄の犯罪」へのアクセスが非常に多いようですが、「那須与一、将に射むとす」(10月18日付)のほうが分かりやすく整理してあります。できれば、そちらのほうを御覧ください。“ウソツキ退職”と名づけたのは、河合(Hayao Kawai)が自らを“日本ウソツキクラブ会長”と名のっていたからです。ふざけた、人を馬鹿にした人物ではありませんか。こんなやつが、道徳の副教材“心のノート”を作成したのですよ。しかも、それを多額の税金を使って日本の子ども全員に配布したのです。信じられますか。子ども達のことを一向に構わないで、ゴロツキを優遇し援助する国。これでは、日本という国は、ふざけた始末の悪い国ということになってしまいますね。世界中から軽蔑されるのではないでしょうか。)

以下、「那須与一、将に射むとす」から
 ここで河合隼雄(Hayao Kawai)のウソツキ退職について、もう一度整理しておこう。河合は奈良の勤務高校在職中に、昼間の京都大学大学院に進学した。大学院進学にあたっては、次のように申告しなければ認めてはもらえないだろう。「大学院で習得した知識やスキルを、将来本校の生徒指導等に役立てたい」と。勤務高校は、しぶしぶと許可した。「しぶしぶと」というのは、河合が勤務しながら昼間の大学院に通学することによって、担任業務、校務分掌、生徒指導、部活動指導などに支障が出るからである。ただでさえ忙しい他の同僚に穴埋めしてもらわなければならない。このようにして、給料ももらいながら大学院に通ったわけであるが、修了するやいなや高校を退職してしまった。そして、天理大学教授になった。だから、詐欺だと言っているのである。さらに、天理大学においても、同じ詐欺を繰り返している。この場合は、大学院進学ではなく、外国留学であった。こうして、京都大学教授になった。勤務高校が河合を告発しなかったのは、おそらくその管理者が、お人好しのボンクラだったからである。そのために河合は味をしめて、次の天理大学でも同じ詐欺事件を起こしたではないか。河合の犯罪には常習性がある。
 以上の事柄は、公になっている情報から読み取ったにすぎない。また、勤務高校を当初、天理高校と考えていたが、どうやら違うらしい。奈良育英高校が正しいのかもしれない。いずれにせよ、ある分野の第一人者であり、人気作家も顔負けするほどの売れっ子でもあり、文化庁長官にも就任した人物の勤務高校名がはっきりしないのは不可解である。河合が隠そうとしていたからである。そして、高校の教え子たちも、河合を嫌っていたからでもあるだろう。河合の教え子は、数千人いるだろう。高等学校だから、3年間に数百人の生徒を教えることになる。河合が、タレント以上の有名人になったにもかかわらず、教え子の誰ひとりとして河合の思い出話を語っていないのである。余程、冷酷で人間味のない温かみのない数学教師だったのだろう。後年、河合が悪魔になる素地は十分にあったわけである。
 このような人物に、道徳の副教材「心のノート」を作成させるとは何ごとか。


 日本の小・中・高の教員たちは、生徒が転んだとき、手を差し伸べようとする。それが、全人格的なものであるとき、自分の持っているものすべてを賭したものであるとき、そしてそれが生徒の心に伝わったとき、大抵の生徒は自ら起き上がろうとする。「さあ、自分の力で立ち上がりなさい」と言うだけでよいのである。その後は、ただじっと見守っているだけでよい。細々としたことを、教示する必要もあまりない。但し、これをカウンセリングをもって行おうとしては絶対にいけない。どんなに低姿勢、優しさを装おうとしても、相手はその傲慢さ・不遜さを敏感に感じ取ってしまうものである。

中国からは、早く来てくれと毎日、催促されている。学校は9月から始まるからである。しかし、僕は動きたくても動けない。手元には、飛行機代さえも残っていないからだ。
 この厳しい状況の中で、敢えて困難極まりない恐ろしい戦いを再開した。
 それでは、河合隼雄の詐欺犯罪について触れておく。以下は、旧版の「ユング心理学批判」からのものである。河合は、詐欺犯罪を二度も行なっている。勤務高校と天理大学においてである。なお、下記の文で、勤務高校となっているのは、元の文では、天理高校となっていたが、どうやら間違いで、他の高校であるらしい。だから、勤務高校に改めた。とにかくユング派は、犯罪行為・悪事を平気で行う奴らだ。ユング心理学こそ、人類の新しい福音を齎すものであると、盲信しているからである。



勤務高校はなぜクレームをつけなかったのか


 ここで河合の勤務高校嘘つき退職について整理しておきましょう。河合は十数年間、勤務高校に勤務しました。そして、ある人に「何か勉強していないと人間が堕落する」(1990年前後の朝日新聞に連載された河合が執筆した記事)と言われました。そこで河合は、仰せのとおり大学院に進学し、臨床心理学者を志すことにしたのです。いい年をした中年のオジサンなのに、何という自我のなさでしょうか。大学院進学が、河合のその後の人生を大きく変えました。人生で最も大切な職業選択を人に決めてもらっていたのです。そうして目指したのがカウンセラーでした。普通ならば、勤務高校を退職して大学院に通学するのが筋なのですが、河合はそうしませんでした。在職しながら大学院に通ったのです。最初、それは夜間大学院に違いないと考えたのですが、不思議なことに昼間の大学院だったようです。勤務高校に在職しながら、どうして京都大学の昼間の大学院にも籍を置けるのか、理解に苦しむところですが、とにかく河合は大学院に通いました。その際、勤務高校にありのままを告げたなら、勤務高校が許可してくれるはずがありません。そこで河合は、次のように申告しました。「大学院で学んだ知識やスキルを将来本校の生徒指導に生かしたい」と。そういうことならばということで、勤務高校はしぶしぶ大学院通学を許可してくれました。大学院に在籍していた間、河合は勤務高校のためにたいして仕事もしていないにもかかわらず(そもそも仕事をするのは物理的・時間的に不可能に近いでしょう)、ちゃっかりと給料だけは受け取っていました(休職していたわけでもないようです)。そして、いよいよ大学院修了という年に、河合は勤務高校を退職してしまったのです。常識的には、ここで勤務高校は河合に対してクレームをつけるはずです。場合によっては、大学院在学中に支払った給料全額の返還を請求してもよいでしょう。ところが、勤務高校はそうしませんでした。